2022年1月のこととか

❒ 1月1日
明けました。例によって朝方まで起きていたので眠い。朝、実家でおせち料理を食べた。おせち料理は苦手だけれど。それからお昼頃までダラダラ。お年玉の準備。今日は姉の婚約者(初対面)に会う日でもあって、ソワソワして落ち着かないので散歩に出かけた。散歩がてら近所の神社に寄ると、すごい参拝者の列。普段落ち着いた雰囲気の地元の小さな神社に、どこからこんなに人が湧いてくるのだろうと毎度思う。一人で行列に並ぶ気力もなかったので初詣は断念した。わざわざ1月1日に行く必要なんてない。歩いたら少しほぐれてきた。お菓子買って帰宅。

昼から夕方にかけて家族・姉家族と食べて飲む。夜も食べて飲む。甥っ子二人、姪っ子一人にもみくちゃにされる一日。しばらく見ないうちに3人ともだいぶ大きくなっていて、見た目も大人びてきていたが、中身が全然変わらない。相変わらず懐いてくれているので安心したが、もう少しだけ言うことを聞いてほしい。甥っ子たちの目を盗んで、友人から借りた『逢沢りく』下巻をこっそり読んだらラストで涙が溢れてきた。

昨年を振り返ると、新型コロナウィルスの影響でなかなか動きづらかったり(身近に感染者が出て濃厚接触者にもなった)、動く気力がなかったりして、リモートワークこそほとんど無かったものの家で映画ばかり観ている1年だった。メモを見返してみると、1年間で269本も映画を観ていた。近頃少しずつ人と会う機会が増えてきたので、今年もこの調子で殻に篭りすぎないようにしたい。それからありきたりだが、心身の健康を保ち、良い意味で身の丈にあった幸福を得られるようにしたい。今年は「卑屈にならない年」にしたいと友人が言っていたが、大事なことだと思う。これもまたありきたりな話だけど、結局自分は自分でしかないし、他の人とは趣味嗜好も性格も体型も体質も能力も違うのが当たり前で、現実的には人と比べても仕方のないことがたくさんある。苦手を克服しようとする努力は素晴らしいけれど、どうしてもできないことはできないし、時には「それでいい」という開き直りだって心の平安のためには大切なはずだ。

❒ 1月3日
昨日、今日と相変わらず甥っ子・姪っ子にもみくちゃにされている。もみくちゃにされても可愛いので許してしまう。特に一番下の姪っ子がだんだんベタベタくっついてくるようになってきて、可愛くて仕方がない。ギターを弾けとねだるので、何曲か伴奏をして歌わせたら上手に歌うので驚いた。

年末あたりから薄々感じていたけれど、労働をしていないと頗る調子が良い。今日も朝まで起きていたり生活リズムはごちゃごちゃなのに、決まった時間に起きて外出している普段より調子が良いのだから、労働から受ける心身へのダメージは相当大きいのだろう。

甥っ子たちの絡みが落ち着いてきた頃に『花束みたいな恋をした』を(ようやく)観た。「観た後に語り合いたくなる映画」と言われているのも納得。全然違う視点の意見や感想が出てきて面白そうだ。麦と絹の二人の恋は終わってしまうが、そもそも恋愛とはそういうものなのであって、もっと言えば「始まっては終わるその繰り返しこそが"生きる"ということなのだ」というポジティヴな諦念を感じる。たとえそれが永遠に続くものでなくとも、その瞬間の煌めきを祝福し愛すること。しかし一方で、二人の破局は「関係に"同質性"を求め過ぎたお互いの未熟さの結果である」というシニカルな見方もできる。劇中でやたらマニアックな固有名詞が頻出する意図も、二人の趣味嗜好における"強固で閉鎖的で同質的なつながり"を強調して示すためなのだろう。また、個人的に重要だと思ったのが、就職した麦が「社会」(かっこ付きの)というものを内面化してしまって、今まで好きだったものに対して次第に不感症的になっていくという描写の現実っぽさ。

夜、あとは黒澤明でも観ておけば間違いないと思い『隠し砦の三悪人』を観た。太平と又七という百姓のコンビが最後までほぼ変わらず現金な奴らなのが最高だった。明日から労働。寝。

❒ 1月5日
仕事だと思っていたが今日は休み。買い物や郵便局やマジックミシンに行きたかったが、気力が湧いてこないので引き篭もる。ギターを弾いて少し歌った。ものすごく久しぶりの人と少しだけ話をした。それから、学生時代の友人からも連絡が来ていたので、今度飲みに行く約束をした。夕方、怠かったけれど気合いで軽く運動をした。するまでが大変だが、運動をすると調子が出てくる。髪の毛がモサモサしてきたので全体的に少し梳いた。

夜、『The Hand of God』を観た。素晴らしくて、パオロ・ソレンティーノは気になる作家になった。その後『雨月物語を観る。自分の中で「溝口健二は『残菊物語』が圧倒的」という思いが揺るぎなくある。今日は運動をしたので、夜のストレッチは免除。たまにはサボってもいい。明日の天気予報を見るとものすごく寒いみたいだし、雪マークがついている。ホッカイロをバッグに入れて、お香炊いて本読んで寝た。

❒ 1月9日
突然連絡が来て飛び起きる。11時過ぎくらい。全ての用事を捨てて、牛久までfly(徒歩と電車)。あまり先の予定だとソワソワしてしまったりもするので、突然は結構好きだ。午後3時くらいに到着。遠かった。外はまだ雪が少し残っており、路面もところどころ凍っている。楽しい人たちといれば、ツルツル滑ることすら楽しくなる。

近くのカフェへ。ここのカフェはパン屋が併設されていて、パンがとても美味い。モチモチの食感。何も食べていなくてお腹が空いていたのもあってか「こんなに美味いパンがあって良いのか?」と思う。軽く飲み食いしておしゃべり。しばらく滞在して、そのまま夕飯にファミレスへハシゴ。シェアして飲み食いした。野菜などというものはこの世に存在しません、と言わんばかりのチョイス。友人たちが注文したお酒を全然飲まないので、もらい酒して一人で酔っぱらって上機嫌に。いろいろ話した。滞在時間4時間半くらいだったけれど、とても充実していた。自然体でいられる人たちと過ごす時間は、なんて心地良いのだろう。こんな時間ばかりなら良いのに、と心から思う。

寝る前、今度遊ぶ予定の友人とちょこっと話し合いのつもりが、つい楽しくなって真夜中になってしまう。祝日だけど明日は仕事。現実引き回しの刑です。就寝。

❒ 1月12日
16時頃、渋谷で友人と待ち合わせ。遊び過ぎて、もしかしたらパリピになってしまったのかもしれない。とりあえず目の前に見える高いの上りテェと思い、渋谷スクランブルスクエア最上階へ。入場料が一人2000円もすることに驚いた。受付で「高校生ですか?大人ですか?」と聞かれたが、きっと全員に聞いているはず。そう思うことにした。屋上からは、東京中が一望できる。風が強くて寒いけれど「高い」というだけで楽しくて、はしゃいで遊んだ。「高い」と「甘い」と「エロい」は、無条件にはしゃいでしまっても仕方がないと思っている。ただ、禁止事項ばかりで、いちいち注意する声が聞こえてきたのが少し窮屈だった。スナフキンなら怒っているはず。そのまま屋上から富士山の横に落ちる太陽を見送った。

下りて宮下パークへ行ってみる。宮下公園が生まれ変わって以来色んな意味で気になっていたが、あまりよく分からなかった。しばらくぶらぶらして時間を潰して、18時に肉料理の食べ放題へ。「よーし食うぞー」と意気込んでいたのに、食べ放題が開始されるまでに出てくるコース料理でほぼお腹いっぱいに。食べ放題でお代わりしたのは、結局オニオンリングのみ。情けないが、お酒はいっぱい飲めたし、制限時間を少しオーバーして座っていても文句も言われないしで大満足。相方がバッグを破壊していたのが面白かった。お店が混んで来たのでさすがに出た。酔っ払って上機嫌なので、そのまま渋谷近辺や表参道駅付近をとにかく歩き続ける。気づいたらもういい時間。全然大丈夫だろうと高を括っていたら終電を逃していて、途中駅から1時間以上歩いて帰った。気づかないうちに足の指先のどこかを切っていて、ソックスが赤く染まっていた。昨日は浴室で踵をぶつけて血まみれになったし、近頃ちょっとした怪我が多い。友人も無事に帰れたみたいで良かった。なんだか昂って寝られず『真夜中のミサ』第1話を観た。4時半くらいに就寝。

❒ 1月15日
起床からストレッチのいつものルーティン。『エターナルズ』と『座頭市物語 折れた杖』を観る。それから、約束の時間までナミブ砂漠のライブ映像を見ながら、本を読んで時間を潰した。目的地へ向かう途中で寄った古着屋で渋いコーデュロイパンツを見つけて買おうか迷ったが、持っていくのも面倒なのでやめる。結局我慢できず、行きの電車内でお店の通販で購入してしまった(送料無料でネットの方が安かった)。物欲が止まらない。

18時半に池袋へ。中学時代からの友人とちょっと久しぶりの再会。とりあえず大衆酒場へ行って、食べて飲む。今時完全喫煙可能なお店。禁煙して何年も経つけれど、この友人と会う時だけ紙巻きタバコを吸うことが恒例になっている自分が殻に篭りすぎてあまりにも連絡が取れないので本気で心配になり、別の友人と深夜電話会議して自宅突撃計画まで出ていたことを聞かされる。しばらく殻に篭ることはよくあるので、そんな大事になっていたとは思わなかった。そのタイミングでちょうど友人が悪夢を見たりして、危ない兆候と思ったみたいだ。計画実行前にちょうど連絡がついたので、計画は取りやめになったらしい。急な自宅突撃は死ぬほど困るので良かった。「ただ、お前と遊んでなかった期間も、お前のことを人に話す時は親友って言ってる。親友がいるって話をしてる」と言うと、「マジな話、俺も言ってる」と返され照れ臭かった。

酒場を出てからも池袋中を闊歩して飲み歩く。お互い話したいことが溜まっていたので、会話も盛り上がる。ベロベロに酔っ払った。友人がどこかでイヤホンを失くしていたのが面白かった。昔ならこの流れで必ず家に行って泊まりになっていたが、彼ももう既婚者。終電ギリギリで帰宅。フラフラだけど無理矢理お風呂に入る。「酔っ払ってお風呂に入るのは危ない」という教訓を得た。オミクロン株も蔓延してきたし、お金も使いすぎているので、しばらく遊びのペースは落とそう。シューシン。

❒ 1月20日
有給休暇。9時ごろ目覚めるも、なかなか起き上がれず、布団の中でダラダラ。寝たり起きたりを繰り返し、14時ごろやっと出る。

昼飯を食べる気が失せてしまったので、友人にもらった紅茶を入れ、チョコレートを食べた。どちらも美味しい。特に紅茶は、ほんのりスパイシーで「この中にずっと居たい」と思うほど心地よく上品な香りがする。オレンジピールにシナモンにバニラビーンズにナッツ入り。茶葉の段階では柑橘系混じりの不思議な香りがするが、お湯を淹れて一口飲むとバランスのよい芳醇な香りが広がる。贅沢な気持ちになり『ライトハウス』を観る。陰影の効いたモノクロームの映像が美しく、ウィレム・デフォーとロバート・パティンソンの演技合戦も濃厚で、短いけれど見応えがある。真四角に近い画面比も閉塞感を際立たせていて説得力があった。ロバート・エガースは『ウィッチ』もとても好きだったことを思い出して、また観直したいと思った。その後、久しぶりに運動して怠けた体に鞭打ったら、かなり息が上がってしまった。気分が上がるものを観たいなと思って『シャン・チー』を観たら、想像していたより全然面白かった。

読書時間があまり取れていないので、本を読んだ。『迷惑な進化:病気の遺伝子はどこから来たのか』と『詩を書くってどんなこと?』を読んでいる。ダラダラして、もらったお香を焚いて寝た。

❒ 1月22日
昼過ぎ頃起床。相変わらず狂った生活リズム。気合いが足らないので直らない。

『象は静かに座っている』という、4時間弱の映画を観る。傑作。絶望とわずかな希望の間を彷徨うような物語で、決して明るい話ではないし、ゆったりとした長回しが多用される贅沢な時間の使い方が特徴的な作品だが、圧倒的な美しさに惹きつけられて全くダレることがない。『牯嶺街少年殺人事件』とよく比較されているが、あまりにも自然に悲劇と暴力が存在する現実を描き出す作品として『罪の手ざわり』なども想起した。恐ろしい犠牲を払って成り立つのが世界の美しさの秘密であり、それはそのまま世界の業でもあるのだけれど、苦悩と美はどうしたって平衡を保ちながら関連しあってしまう。その構造をまさにフォルムとして体現しているような映画で刺激的だった。

軽く運動して夕飯を食べて『リアリズムの宿』を観た。こちらもとても好き。オフビートで、他では味わえない独特の空気感の流れる映画。ミニマルで画が良い。ちょっとジム・ジャームッシュっぽい(『ストレンジャー・ザン・パラダイス』とか)。行動していないと映画ばかり観ているので、このまま映画日記になってしまいそう。

❒ 1月26日
昼頃用事を済ませて、マックへ。いつものビッグマックセットとチキンクリスプを食べる。先日タバコを吸って以来なんだか取り憑かれており、タバコを買ってしまった。あんまり美味いと感じないので安心した。アルコールと夜風が必要だな。タバコばかり吸っていた頃に戻りたくないので、それでいい。下着や日用品やお菓子を買って帰宅。しばらく断っていたピュレグミを食べて、美味すぎることを再確認する。

気持ちを上げるにはトニスコ!と思い『スパイ・ゲーム』を観た。魅力的な作品だけど、全体的にあまり上手くいっていないのでは、と思う。それから、夕飯を食べて『音楽』を観た。想像していた以上に良い。笑えるし、何よりアニメーション作品としてアニメーション表現が良い。製作者の熱が理想的な形で作品の質に反映されていると感じた。「音楽」の高揚感も体感としてきちんと伝わってくる。

運動をしようと思ったが怠くて無理だった。『真夜中のミサ』最終話を観て、本読んで寝た。

❒ 1月29日
13時半に近所のおじいさんの家へ。昨夜、道でばったり出会い、訪問する約束になっていた。齢81で、病気で電動車椅子になっているので、色々身体の心配をしたが「今は割と元気な時期」と言っていたので安心した。15時頃解散。喫煙スポットまで散歩してタバコを吸った。買ってから我慢できなくて、なんだかんだほぼ毎日吸ってしまっている。一服してから、散歩がてら近所の古着屋まで行く。特に何も買わなかった。帰り際、古本屋に寄って『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を買って帰った。ネットで試し読みして以来気になっていたが、近所の図書館では予約待ちでいつも借りられなかった本。

帰宅して何か食べて映画館まで行こうと思ったが、どうにも動けなくなってしまい断念。諦めて家でマイク・フラナガンの『サイレンス』と『学校の怪談3』を観る。やっぱり映画。「学校の怪談シリーズはどの作品も魅力的だけれど、特に1作目の『学校の怪談』には、特別な魔力が宿っているように思う。美術やSFXの感じも良いし、何より魅力的なキャラクターたちのユーモラスで生き生きとした会話劇が楽しい。ノスタルジーに浸るわけじゃないけれど、現在の日本の映像作品が失ってしまった余裕とおかしみがあるように感じる。今観ると、大ヒットした『ストレンジャー・シングス』に似た形のジュブナイルホラーとして観られるのも面白い。

夜、タバコを捨てた。本格的な喫煙者に戻りたくないというのもあるが、禁煙の地獄のような苦しみを2度と味わいたくないという気持ちが大きい。『アジズ・アンサリのナイトクラブのコメディアン』を観たら『マスター・オブ・ゼロ』が観たくなったので、一番好きな回を観て寝た。