2022年9月のこととか


❒ 9月3日

特に予定なし。昼過ぎ、カール・テオドア・ドライヤーの『奇跡』を観る。文字通り"奇跡"の起こる映画。"奇跡"なんてものは嘘っぱちでしかないけれど、私たちはその嘘を目の当たりにして震えるほど感動してしまう。そもそも映画なんてものは人類の発明した偉大な嘘なのだから、この映画こそがまさに「真の映画」なのだ。そんな、それこそ嘘くさい感想を抱いてしまうほどの強度がある。

夕方、しばらく散歩して近所の古本屋へ。『貸本まんが復刻版 墓場鬼太郎』の全巻セットが手頃な価格で売っていたので買った。昔、図書館で借りて読んで衝撃を受け、水木しげるの偉大さを教えてくれた作品。

夜、一度帰宅してから近くの映画館のレイトショーへ。『NOPE/ノープ』を観る。賛否がだいぶ分かれているので、ハードルを下げ目で観に行った結果かなり楽しめた。『ゲット・アウト』や『アス』のようなものを期待していくとかなり違うが、とにかく最初から最後まで映像的な充実感がすごくて、終始流れる不穏な空気も気持ち良い。劇場(特にIMAXで観ろと言われているのも納得。風刺やメタファーが一部分かりづらい(というより上手くいっていないかもしれない)のは否めないし、考えれば考えるほど結局腑に落ちない気持ちになる部分もあるけれど、とにかくエンターテインメントとして面白い。

❒ 9月7日
午前中、歯医者。もうなんの問題もなく、できればまた3ヶ月後くらいに健診に行くということになった。マクドナルドへ行き本を読んで、図書館へ返却に行く。『反逆の神話』と『武器になる知的教養西洋美術鑑賞』を借りる。デパートへ移動。ひょんなことから来週からもう一つ違う仕事へ行くことになったので(この不安とコロナ明けの乱れと疲れでここ数日かなり気鬱なっている)、新しい職場用の服を探す。あまり気持ちが入らず、パンツを一着だけ購入。

デパートを出ると大雨が降っている。待機がてら近くのカフェで読書。かなり待っても全然勢いが衰える気配がないため、意を決して帰宅。注文していたマスクと『働くことの人類学』が届く。

夜、『はなればなれに』を観る。ゴダールの映画は学生〜大学卒業したて辺りの頃に背伸びして観漁っていたが、下手するとそれ以来だ。こちらは、いい意味で軽くてキッチュでポップな作品。ラストも「三文小説のように終わる」。三人でのマジソンダンスのシーンやルーヴル美術館を駆け抜けるシーンなど、記憶に残る名シーンが多い。

続けてゴダール『女は女である』を観る。こちらも負けず劣らず軽い。あえてバカバカしいような話だし、アンナ・カリーナをとにかく魅力的に撮った映画なので肩の力を抜いて観られる。それでいて、演出も編集も音楽の使い方も攻めていて、ポップと前衛が同居したような不思議な映画になっている。登場人物は歌わず、真っ当なミュージカルというより、ミュージカルという様式へのオマージュと挑戦のようだ。

❒ 9月10
11時過ぎごろ「パンと音楽とアンティーク」へ。起きてからなかなか動けなくて予定より着くのが遅くなってしまった。友人と合流。パンとアンティークのお店を見て回り、ライブを見て1日過ごす。初めて知った人の中では新井仁さんの弾き語りがとても良かった。絶対どこかで顔を見たことがあるんだよなと思っていたら、サニーデイサービスのサポートメンバーもやられている方でした。

夕方頃、友人と解散。なんだかまだ帰りたくなかったので一人で会場内をふらふら周る。陽の落ちる頃のDJブースは最高になりそうな予感がしてCLUB SNOOZERへ。予感的中だった。段々薄暗くなっていくにつれてフロアのムードも高まっていく。そのままCLOSEまで1時間以上踊る。DJ田中宗一郎氏(行きの電車で車両が同じだった。ちなみに帰りの電車はトリプルファイヤーの吉田さんと同じ車両だった)が言っていたように、ここにいるお客さん以外はほとんど帰っていて、あとは「頭の悪い人たち」が残って踊っている。この奇妙な連帯感が気持ち良い。SMAPSHAKEでの盛り上がりは異様だった。

建物内は前方以外ほとんど演奏が見えないし後方は音も聞こえづらいとか、ゴミ箱が全然無いとか、アルコール以外の飲み物がほとんど無いとか、初開催で色々課題はありそうだが、入場料は安いし暖かみのあるフェスで楽しかった。来年も開催されたらまた行きたい。

❒ 9月14
コロナウィルスに感染して以来の喉のイガイガとそれに伴ってたまに出る咳がいまだに治らない。それどころかむしろ、じわじわ悪化しているのではないかと思うことすらある。大した症状ではないけれど、積もり積もってストレスになる。昨日、ゴダールの死去が報じられた。最近また数年ぶりに何作か観たりしていたので悪い意味でのタイムリーさに驚く。そして、本日は新しい職場初出勤の日。とにかく疲れた。とりあえずめちゃくちゃ悪い人はいないようで安心した。でも、作業漬けでとにかく疲れた。

帰宅してドライヤー『怒りの日』を観る。普通の人間が魔女に仕立てられる映画だと決めてかかって観ていたが、一概にそうとは言い切れないような解釈の余地がある。人間の集団心理への問題意識と社会秩序への批判的な眼差しはあるのだろうが、角度によっては本当に主人公のアンネが魔女であり、人間には魔力が備わっていると見ることも出来てしまうこの"怪し"。実際のところ、魔女なのか魔女でないのかの考察は作品上重要ではないけれど、平然と奇跡を起こしてしまった『奇跡』と同様のある種の"怪しさ"がこの作品にもあって、そこに名状しがたい魅力を感じてしまうのだ。

❒ 9月17
3連休初日。朝方まで起きていた割に早く起きた。だらだらして昨日の残りのカレーを食べて、渋谷へ。

Bunkamura ル・シネマで『彼女のいない部屋』を観る。物語は時間と空間、現実と想像(幻想)を複雑に行き来して観る者をミステリアスな世界に巻き込んでいく。なぜこんな断片的でややこしい編集・構成になっているのかという疑問は、やがて明らかになる。この物語は、そのまま主人公クラリスの頭の中で混じり合う現実と想像によって紡がれたものであったのだ。人間の思考のプロセスを思えば、この断片的に飛躍する構成にも納得がいく。

衝撃の事実が明らかになってもこの映画は、伏線回収や謎解きの快楽を第一とする映画とは明確に一線を画している。実際、秘密は最後の最後まで隠されているわけではなく、途中から徐々に明らかになっていく。全てのストーリーラインを知っていても作品としての強度は落ちそうにないし、むしろ知った上で観た方が楽しめるのではないだろうかとすら思う。とにかく全編を通して流れる不穏さと美しさ、それから主人公クラリスの振る舞い自体、彼女の喪失が「取り返しのつかないものである」と明らかになるにつれて徐々に増していく叙情性にこそ惹かれてしまう。

GALLERY X BY PARCOで展覧会「品品」を観て帰宅。夜、本を読んで寝た。

❒ 9月18
天気が悪いので家にいる。映画を2本観た。

セリーヌとジュリーは船でゆく』。190分以上もあるのにひたすら好き勝手やっているのが愉快だし、何よりもチャーミングな映画。ジュリーがセリーヌを追い回す冒頭のシークエンスが最も好きだ。アクションとショットとモンタージュによってどう見せるかというサイレント時代から脈々と続く映画表現の素晴らしさを実感できる部分。

裁かるゝジャンヌ』。多用される顔面クローズアップの映像的迫力に当てられる。特にジャンヌダルク役を演じたファルコネッティのポリフォニックに訴えかけてくる表情の力。名演。ラストの凄まじい火刑のシークエンスに釘付けになる。

深夜、近所を徘徊。新しい職場の不安と疲労とストレスを紛らわすために、最近はついついタバコを買って吸ってしまっている。また本格的な喫煙者に戻る前に辞めたいところ。遅くまで起きていた友人と話して寝た。

❒ 9月19
台風の影響で今日も天気が悪いので引きこもり。映画を2本観て、明日からの生活に備えて運動をした。

『パリ13区』。ジャック・オーディアール監督作と言われなければ分からないような、なんだか軽やかで、それでいて成熟みのある映画。オーディアールは男っぽいものを撮るイメージがあったので、共同脚本を手がけたセリーヌ・シアマとレア・ミシウスの貢献はかなり大きいのだろう。さらに、原作は日系アメリカ人のエイドリアン・トミネのグラフィックノベルであるし、多様な価値観や視点がパリ13区(パリであってパリでないような)を舞台にシンプルなロマンティック・コメディとして結実している感じで非常に良かった。

洗練されたモノクロームの映像が美しくてオシャレだが、決して現実みを欠いているわけではなく、しっかりと現代的なテーマが反映されている。貧困などでどうしようもない状況にあるわけではないものの一抹の不安や孤独を抱えている人間たちの営みをキャプチャーしているあたり、ノア・バームバックの映画に通じるようなものも感じた(ただし、登場するキャラクターの人種が多様なのはバームバックの映画と明らかに違うところ)。

『忘れられた人々』。すごい傑作。ひたすら悲惨なものの、感傷的というよりどこまでも切実である。よくイタリアのネオレアリズモの映画と比較されているようだが、演出は結構マジカルなところもあり劇映画として面白い。

夜、『The Cutting Edge: The Magic of Movie Editing』という映画編集のドキュメンタリーを観て寝た。あっという間に連休終了。 

❒ 9月24
またまた天気が悪くて家にいた。週末と雨雲はデキているのかもしれない。

FLEE フリー』を観る。これがまた素晴らしくて引き込まれる。ゲイのアフガニスタン難民青年のパーソナルなドキュメンタリーだが、パーソナルだからこそ他人事として無視できないような普遍性を伴って胸に迫ってくる。登場人物のプライバシーと安全のためという現実的な理由で採用されたアニメーションという手法が、フィルターとして機能すると同時に没入感をも生み出している。主人公アミンの心情描写や回想シーンのディテールも、まさにアニメーションならではの表現力を生かしていて良い。

部屋で軽く運動してから『心と体と』を観る。こちらもとても良い。ちょっとアウトサイダーな側にいる友人にでも薦めたくなるようなファンタジックで少し風変わりな、不器用同士のラブロマンス。不器用さももう少しいきすぎていたらカウリスマキの映画っぽくなりそうな感じで、そういったユーモア感覚が鮮血と生きづらさに塗れた世界を中和してくれる。幻想的かつリアルな映像世界と、詩情が理屈を飛び越えていくような美しさが胸に沁みる。演出も細部まで行き届いている。

まだ気力があったので寝る前に『晩春』を観る。久々の小津。やっぱり全編を通して偏執的にこだわり抜かれたショットと構図の美しさには無教養な素人でも唸らされる。壺が単独で映し出されるショット(後に様々な解釈がされたことでも有名な)は、何も知らずに観ても明らかに意味深だった。小津の映画は怖い。シンプルなホームドラマでもなんか怖い。原節子の表情も怖い。美しいものは必ず怖いのだ。

❒ 9月25
打って変わってスッキリとした秋晴れのお出かけ日和。なのに、今度は気持ちと気力のほうが雨模様で結局ほとんど家にいた。

映画を2本観る。

『アテナ』。Twitterで映画ファンや評論家の間で話題になっていたNetflix配信映画。まず冒頭のタイトルが出てくるまでの11分間のスリリングな長回しに「凄まじいフックだ」と圧倒される。が、実はその後も全編にわたってこの超ハイレベルな長回しの連続で構成されていて、まさに息をつく暇もない。そのまま悲劇のような展開に観る者を巻き込んでいく。屹立する要塞のような団地。そこで飛び交うロケット花火の光。炎と煙。緊張感のあるアクションのみならず、隅々まで周到にデザインされた画面はアートハウス寄りの人も思わず唸るほど美しい。

『その男を逃すな』。演出も撮影も良くて面白かった。ジョン・ガーフィールド演じる犯人の、何かが欠落してしまっていて憎めない感じがいい。己の間抜けさと臆病さと運の悪さでますます状況は悪くなるばかり。悪意はないとは言えない(悪意はある)けれど結果的にその何倍もの反動が返ってきてしまう哀れさ。最近だんだんとこういうキャラクターに感情移入するようになってきている。短い尺の映画ながら「俺の作った七面鳥が食えないのか!」と激昂するシーンなど、印象に残るシーンも多い。

夜、気合いで運動。部屋で少し運動すれば一日中ダラダラしていた罪悪感が少しやわらぐ気がする。

❒ 9月28
休み。昼過ぎに用事があったので済ませて、新しい職場用の服を買いに行く。散々悩んでパンツ、シャツ、カーディガンを購入。一応仕事以外でも使えそうなものを。結構な金額になってしまい、これ以上お金を使わないためにも帰ることに。するつもりだったが、気が変わって地元のカラオケに入る。最近は歌うためというよりも、人目につかない場所でダラダラ本を読んだり昼寝したりする為に利用している。平日のフリータイムは安いしドリンクバーもあるし喫煙所もある。そのまま夜まで滞在してから帰った。

夜、なんだかやたらと調子が良くて、気鬱な感じがしない。こういう日は眠気もなかなか訪れない。深夜、ロメールの短編を何本か観て寝た。

9月は無気力・無欲・虚無期といった感じであまり行動できなかった。コロナ明けから何故かずっとそんな感じだ。映画や本やドラマや音楽などのポップカルチャー、アートの世界に逃げ込んでいて、やるべきことや生活や人との直接的な交流を蔑ろにしていた。なんとか気持ちから持ち上げていきたい。