2022年11月のこととか

❒ 11月5日
昼前頃、のそのそ布団から出る。休日の生活リズムをそろそろ何とかしなければ。午後、なかなか動き出せずにギリギリで早稲田松竹のホン・サンス特集に向かう。2本立て。

『イントロダクション』から鑑賞。上映時間66分。行間たっぷりの3章構成。映画内で経過している時間は決して短いものではなく、上映時間はいくらでも長くできそうなのに、あえて"描かない"とで鑑賞者に想像を喚起させる作り。『あなたの顔の前に』と併せて、ホン・サンスのミニマリズムの美学ここに極まれりという感じだった。コロナ禍だからこそより際立つ美しい"抱擁"の瞬間を初め、モノクロームの静謐な映像の中に押し付けがましさとは無縁のエモーショナルな瞬間がいくつも転がっているのも魅力的。ちょうど煙草が無くなったので禁煙しようかと思っていたが、映画内であまりにも美味そうにスパスパ吸うもんだから断念させられました。上映後、煙草を買い、朝から何も食べていないためおにぎりとチキンを買って軽く食べて次の上映に備える。

『あなたの顔の前に』。ホン・サンスの映画はまだまだ未見がたくさんあるけれど、これは新境地なのではないかと思った。ロメールのような一見何でもない会話劇でゆるやかに人とその関係性の機微を浮かび上がらせてゆくものかと思いきや、「主人公のサンオクがなぜ自分の過去を辿っているのか」という謎が明らかになると同時に、映画全体は重みを帯びる。割と真正面から人生哲学について語る映画でもあるのだ。それでいて、あくまでもホン・サンス特有の飄々としたタッチは失わない。ラストのサンオクの笑いは、複雑だけどどこか軽やかで、悲しんでいるようにも喜んでいるようにも聞こえる。そして、皮肉めいて響くと同時に、心の底から可笑しいと思っているようにも見える。『イントロダクション』と違い、こちらはたった一日の話。その中で、サンオクのこれまでの人生と心の内奥を観客に強烈に想像せてしまう。

帰ってご飯を食べて、観た映画について考えたりだらだらしたりする。ふと、レイトショーでも行こうと思いつき、でもやっぱどうしようかな、と迷っているうちにギリギリに。近所の映画館にダッシュで向かう。疲れた。予定時間が決まっているものに向かう時、常にギリギリになってしまうところもどうにか直したい。

『窓辺にて』を観る。もっと長くても全然観ていられると思うくらい面白かった。話がどう転がっていくのかも全然分からないし、登場人物が物語にどう関わってくるのかも分からず、改めて今泉力哉監督の脚本力の高さを感じた。今泉力哉の映画に稲垣吾郎が主演でマッチするのか疑っていたが、この映画の稲垣吾郎はめちゃめちゃ良い。当て書きされているだけあって役柄もぴったり。ストーリー上『ドライブ・マイ・カー』と似ている部分があったけれど、どこか浮ついた非現実観に魅力があった『ドライブ・マイ・カー』に比べて、本作の方がより現実的な複雑性をとらえており距離が近い感じがして個人的には好み。

帰りが遅いと寝るのも遅くなる。すぐ寝ればいいものを、本を読んだりドラマを観たりしてどんどん遅くなる。就寝。

11月6日
起きて冷凍のビビンバチャーハンを食べる。予定なし。家で映画を観る。

『イルマ・ヴェップ』。ずっとやんわりと観たかった映画。U-NEXTでドラマ版が配信されると同時に、96年公開の映画の方も配信してくれた。いわゆる「バックステージもの」だが、すごく奇妙な映画。90年代のオリヴィエ・アサイヤスのオルタナティヴな衝動で溢れている。洗練と前衛の間にある芸術。特にラストのラッシュのシーンで公開される映像は衝撃的。基本的に色んなマギー・チャンを撮りたかっただけなのかもしれない、と思えるところも映画撮影の原初的な衝動として正しいと思った。

夕方、運動してから『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』を観る。オリジナル版のアニメ「ククルス・ドアンの島」の回は未見だが、本作を観るとサブプロット回とはいえ「捨て回」のような扱いになっていたのが不思議なくらい良いエピソードだ(オリジナルからはストーリーや設定もいくらか改編されているのだろうが)。あたたかくほのぼのとしたタッチの中からさりげなくマ・クベ配せするように、社会的弱者こそが最も割を食うという戦争の現実を訴えかける。

小さな島の話ではあるが、ドアンの視点、アムロの視点、ドアンと生活を共にするマルコスやカーラや20人の子供たちの視点などが重層的に交わるポリフォニックな作品になっている(マルコスとカーラと子供たちってゴダール『男性・女性』の副題「マルクスとコカコーラの子供たち」から?と一瞬思ったけれど、絶対に違いますね)。

機動戦士ガンダム』のテーマの一つが「戦争に巻き込まれる子どもたち」(ホワイトベース隊のほとんどが民間人の少年少女で構成されている)であるとすれば、『ククルス・ドアンの島』は本筋とは別の角度からそのテーマを補強するものであり、主役のアムロレイが普通の少年であるということをより強く印象付けるエピソードにもなっている。もろ戦時下である現在の社会情勢を思うと今リブートされたことには深い意味を感じ、胸を打たれる。剣戟のシーンも現在のアニメーション技術で古き良き時代劇のチャンバラの格調を蘇らせているようで良かった。

ドラマ版『イルマ・ヴェップ』の1話目を観て寝た。

1112
昨日夜更かししていたため、ゆっくり起きる。どこかへ行こうかなと考えている間に午後もいい時間になる。なんか気が向いてきたので、1時間くらいギターを弾いて歌ってみた。その後、とりあえず部屋で運動して、外出できなかった罪悪感を揉み消す。

リコリス・ピザ』を観る。観終わった後も何だか余韻で夢見心地。ポール・トーマス・アンダーソンが今こんなにポップでスウィートな映画を撮るとは。ゼア・ウィル・ビー・ブラッド以前の作品群と比べても最も甘くみずみずしい青春映画だ。

観ている間は、1970年代のLAを蘇らせた輝かしい映像と、ことあるごとに走る若者たちと、その姿をとらえる移動ショットの快楽にただ身を委ねていればいい。「ファンタジーランドアメリカ」らしく実際には数々の事件やいかがわしい出来事が起こるのだけど物語の本筋を辿ってみると一組の男女が距離を縮めたり密かに嫉妬しつつやや離れたりを繰り返し、最後にはド直球で結ばれるだけの話なのだ。自分はこのラストのあまりにも潔いラブストーリーとしての帰結に涙ぐんでしまった。

しかし、キャラクターはPTAらしく一癖も二癖もある人たち。おそらくキャラクターに真正面から感情移入できる人は少ないだろう(特にゲイリーには)と思える。青春映画というと、いかに"情移入"させるかというところがフックになりがちだが、こういうキャラクターを用いて青春映画を成立させてしまうところには、やはりPTA節を感じる。15歳の男と25歳の女の恋が普通に成立し、特別不自然に見えないところにもグッときた。

夜、『木枯し紋次郎 関わりござんせん』を観る。前作を観てからだいぶ時間が経ってしまったので忘れているところも多々あるが、ドライで虚無感に満ちていた前作に比べて、こちらはもう少し湿っぽい。その分、物語的な吸引力は強い。子供の頃は純粋で優しかった紋次郎の姉お光があんな人間になってしまったのには、女が厳しい世界を生き抜くためという事情があり、そのことが何よりも悲しい。クローズアップで菅原文太の顔面が映し出された時の画面の力は本作でも健在。田中邦衛も素晴らしかった。

深夜徘徊していたらどうにもウズウズしてきてコンビニで煙草を購入。ここ数日やめていた喫煙が復活。帰って友人と話していると朝方になっていた。5時ごろ就寝。

1113
昼ごろ起床。ストレッチ。カップヌードルの新たなマスターピース味噌味を食べる。文章を書いたり、しばらくご無沙汰になっているラジオの相談を友人としたり、散歩したりしていたら夕方になる。

C.R.A.Z.Y.』を観る。話自体は、ゲイの少年が保守的な父親との軋轢に悩まされるというよくあるものだが、単純には語ることのできない人間の複雑性を表現している脚本が巧いと思った。主人公ザックの家族・兄弟を中心に、人物像が多面的に描かれている(といっても気になる人物がそこまで多いわけではないのだけれど)。特に父親の葛藤は深く表現されていて、ある意味主役といっても過言ではない。ザックの想像の世界と現実の世界が入り混じったマジカルな演出も、60年代か80年代を彩るポップミュージックの使い方もキャッチーで青春映画として面白い。

風呂入って、ディズニープラスで配信されていた『禅 グローグーとマックロクロスケ』観て寝た。

1119
昼、家で適当に食べて池袋へ。以前から気になっていたパンツを見に行く。試着してそこまでピンと来たわけではなくて「この値段を出すほど欲しいものなのかな」と葛藤しつつ勢いで買ってしまった。日頃のストレスのせいかもしれない。労働日数や残業が増えて収入が増えたとしても、その分ストレスも増加して浪費も増えるので、手元に残るお金ってそこである程度自動的に調整されるよな、と思う。それから、昔何かの本に「人間にはお金を払って物や体験を得ることへの欲望とは別に、お金を気前よく使って手放してしまうこと自体への欲望(消費の欲望)があり、それは人間に潜在的にセットされた死への欲動と同等のものである」という旨のことが書いてあったのを思い出した。完全に同意するわけではないけれど。

その後、すぐ両国へ向かう。目当ては、力士や体の大きな人向け(キングサイズ)の洋服を扱うライオン堂。ここで売られているダブダブのパンツが気になっていたのだ。こちらは試着して結構気に入って、すぐに買った。買い物が終わったら両国の喫茶店でも行こうと考えていたが、やめて帰路に着く。家に着いたら通販で注文していたパンツが届く。パンツ買いすぎやろ。しばらく節制しなければ。『チェンソーマン』観てダラダラする。

夜、『長江哀歌』を観る。三峡ダム建設により、今まさに沈みゆく古都・奉節で暮らす人々の営みをとらえたスケッチのような映画。でありながら、あくまでケレン味たっぷりなところにジャ・ジャンクーの劇映画やアートへの強い信頼を感じる。生活者や労働者の息遣いや匂いまで伝わってくるリアルな映像の中に、突如ロケットのように打ち上がるモニュメント、脈略もなく現れるUFO、高い建物の間を綱渡りする男性、背後で爆破崩壊する建物など、時折非現実的なカットが散りばめられる。

飛んでいくタワーについてジャ・ジャンクーは「住民の移住を記念して市が建てたモニュメントですが、建設途中でお金がなくなり未完成のままです。三峡の美しい風景とあまりにそぐわないので、飛んでいって欲しいと思い、あのようなシーンを作りました」と言う。こういう想像力(創造力)に任せた描写をできるのが劇映画の強みだ。当初はドキュメンタリーになる予定だったが、最終的に水没しゆく奉節を舞台とした劇映画として制作された本作は、人間の想像力(創造力)への信頼とそれがもたらす純粋なエネルギーで溢れている。まるで山水画のような趣で三峡を映し出す映像に、静謐でエレガントなカメラワーク、こだわり抜かれた構図のショットも息を呑むほど美しい。

1120
天気悪くて引きこもり。起きて、『私、君、彼、彼女』を観る。だらしなく砂糖をむさぼりたい、邪魔な衣服は脱ぎ捨てたい、激しく身体を重ね合わせたい、という生身の女性の姿と欲望を映画は曝け出す。暴力的なまでに。

大まかに分けると映画は3つのパートで構成されており、第1部は何日も部屋に閉じこもって過ごす一人の女性(シャンタル・アケルマン自身)をひたすらフィックスによる長回しでとらえる。家具を塗ってはまた塗り戻し、結局捨ててしまいどんどん殺風景になっていく部屋。唯一残ったマットレスを色んな場所に動かし、裸で寝そべり砂糖を貪りつつ何度も手紙を書いては並べる。虚しさを紛らすように、あるいは何かの訪れを待つようにただひたすら繰り返す。彼女が突如動き出してから映画が始まると言っても過言ではないのだろうが、この内省的でミニマルな第1部には特に引き込まれる。

夕方、コーヒー飲んで運動。初めて気がついたけど、運動前にコーヒーを飲むと運動中のだるさが軽減される気がする。生活筋が少しついてきたのか、最近デスクワーク時の肩や腰への負担が以前よりマシになってきた。無理せず1週間か2週間に1回の運動を続けたい。

夜、『ダンボ』(1941)を観る。やっぱりディズニーってすごいなと改めて思う。セリフは少なく、ミニマルかつ表現力豊かなアニメーションの力で最初から最後までしっかり心をとらえて離さない。ダンボもとにかく可愛い。周りから気色悪がられ、欠点とされている大きな耳を最終的には「長所に変える」という話の筋もシンプルだが純粋に胸を打つ。ピンクの象が見える伝説的なシーンは、明らかにアルコールによる酩酊のレベルを超えたトリップ描写でぶっ飛ぶ。

❒ 1126
15時ごろまで布団から出られず。ダメダメな一日の始まり方。起きて食べて『アンナの出会い』を観る。ファスト映画や倍速視聴が当たり前になってしまった時代に、シャンタル・アケルマンの映画は「本当に豊かな時間との向き合い方とは何か」を教えてくれる。映画のプロモーションのためにヨーロッパを回る主人公は、道中で様々な人々に出会い言葉を交わす(そこには実の母へのカミングアウトも含まれる)が、かえって孤独の感覚は深まるばかり。そんなうら寂しさの美学は、この映画が贅沢な時間の使い方をしているからこそ味わえるものである。アケルマンの映画からは、物語があるからカメラを回すのではなく、カメラを回すこと(撮り続けること)で生まれる物語をとらえようという矜持すら感じる。

特に好きなのは、夜の列車の通路で出会った男とタバコをふかしながら会話するシークエンス。ここは構図もきまっていて列車の走行音も良いし、何より駅に到着するたびにわざわざ長い時間をかけて映し出されるホームの様子が趣深くて美しい。

夕方、コーヒーを飲んで運動。なんとかこなすことができた。そういえば、ブラックフライデーに乗じて生まれて初めてプロテインを買ってみた。なんだか今時、大して運動している気配のない人すら飲んでいたりするしな。

夜、『パリ、恋人たちの影』を観る。いたって普通のダブル不倫の話なので物語的・内容的な引きは強くないが、軽妙なタッチと削ぎ落とされたストーリーテリングが心地良い。ガレルのインタビューによると男女の立場や扱い方にかなり気を配っているようだが、(だからこそ)個人的には、男性の男性による自罰的なムードやそれと表裏一体にあるナルシシズムの匂いも感じてしまうところが少し辛かった。『一流シェフのファミリーレストラン』観て、本読んで寝た。

1127
14時、池袋のサンシャイン水族館へ。水族館なんて久しぶりだ。規模は小さいけれど、不思議な生き物たちをたくさん見ることができて満足。大きな水族館へ行きたい欲が高まった。出て、以前知り合いがオススメしてくれたプリンを食べに、イケ・サンパークにあるEAT GOOD PLACEというカフェへ向かう。美味しいしボリュームもあって満足。タンパク質15グラムと表記されていたのだけど、そんなに入っているものなのか。

夕飯時までまだ時間があり、池袋を散歩する。それでもなかなかお腹が空いてこず、焼き鳥屋さんに入る。「お腹の空き具合が微妙な時は焼き鳥屋さんに入る」というナイスなパターンを最近おぼえたのです。焼き鳥と一緒に頼んだおでんが美味い。でっかい大根に汁がたっぷり染み込んでいる。お酒も少し飲んでほろ酔いに。隣の席のぐでんぐでんに酔っ払ったおじさん2人組の会話が愉快だった。会話中なのに2人ともいつの間にかどこかへ電話をかけている(スナックの女性とかだろうか)。

店を出てから再度池袋を歩き回る。当たり前だけど、池袋駅周辺にも繁華街以外の閑静なエリアがあるのだな。ほぼノンストップ早足で歩いていい運動になった。何個も見たことのない公園を見つけた。気がついたら新大塚駅初めて見た)の辺りまで来ていて、池袋駅まで引き返す。電車に乗って帰宅。本日の歩数を見たら28,000歩近く歩いていた。就寝。