2023年2月のこととか

❒ 2月4日
今週はあまり調子が良くなかった。特に朝。体が重くて寒くて布団から出るのが辛すぎる。鬱かなと思うくらいに。でも、仕事には休まずちゃんと行った。

昼頃、やっと布団から出てご飯を食べる。『美しい都市』を観る。アスガー・ファルハディの長編第2作目。今のファルハディ作品に通ずる「スキのなさ」が確立される第3作目『火祭り』以降とはまた違う強烈な魅力があって、めちゃくちゃ良い映画だった。意外にも切なくてエモーショナルなラブ・ストーリーで、親密な距離感で観られる。これがファルハディの映画の中で一番好きという人がいても全然おかしくない。人間の普遍性とイラン社会の固有性、女性たちへの抑圧と女性たちの強さを同時に描いているところはこの頃から一貫している。

夕方、運動してもう一本映画を観るいつものパターン。『砂塵にさまよう』。ファルハディの長編第1作目。まだ色々と荒いけれどケレン味もあって、これはこれでまた魅力的な映画。特に、これ以降完全に捨ててしまったタイプのショットが全編を通して見られるところは特別だ。しかし、キメキメの力の入ったショットばかりで構成されている映画は、ずっと観ていると少し疲れてしまうのだなという気づきもあった。

❒ 2月5日
今日も昼ごろ動き出す。どこかへ行こうかひたすら迷って、結局どこへも行けなかった。

『春江水暖〜しゅんこうすいだん〜』を観る。スケッチ的に描かれた群像劇と富陽の景観に見惚れているとあっという間の150分間。壮大なロングショットや絵巻物を彷彿とさせる横移動の長回しも迫力があって、大きなスクリーンで観てみたかった。巻二の公開を楽しみに待とう。

まるで中国の伝統的な山水画(特に「富春山居図」という水墨画にインスピレーションを受けているらしい)の世界に飛び込んだかのような映像世界の中で、再開発によって今まさに移りゆく街とその街で生きる家族のリアルな人間模様が描かれる。ビビッドに"人間"を描きつつも、そのドラマは常に雄大な自然世界と同じヒエラルキーで映し出されているように見えるところなど、非・人間中心主義的な東洋思想の趣を感じる。それどころか、滔々と流れる大河・富春江が("時間"のメタファーとして)全てを飲み込むような圧倒的な存在感を放ち、この映画の中心に位置していると言えるかもしれない。

夕方、2日も家でダラダラしてしまった罪悪感でまた家で運動した。怠惰なんだかストイックなんだか分からない。適当なので、オーバーワークとかはないはず。これで今週は調子良く過ごせることを願う。

夜、『ユーリー・ノルシュテイン傑作選』(『25日・最初の日』『ケルジェネツの戦い』『キツネとウサギ』『アオサギとツル』『霧の中のハリネズミ』『話の話』)観て寝た。すごかった。特に『話の話』。

❒ 2月11日
13時ごろ、神保町到着。ボンディがめちゃめちゃ並んでいたのでガヴィアルに行ってカレーを食べた。ビビって甘口にしたけれど中辛でもいけそう。セットにしなくてもジャガイモが丸ごと2個もついてくる。お腹いっぱい。しばらく散策。古本屋など一通り見て回り、皇居方面へ向かう。ひたすら周辺を歩き回る。施設関係は夕方で閉まるところが多くて、どこも入れなかった。

神保町まで歩いて戻り、喫茶店ラドリオに入ろうとするも満席。神保町は特定の店に人間が集中している感じがあった。特にさぼうるとボンディはやばい。そういえば、ラドリオの前に某ミュージシャンが座っていた。個人的に結構よく見かけるのだけど、服装が特徴的で目立つから見つけやすいというのもあるかもしれない。近くの神田伯剌西爾に入って休憩。ケーキとコーヒーのセットを注文。あとはもう何も食べずに帰った。

夜、『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』を観る。自分の好きなシャンタル・アケルマンのほぼ全てはこの映画に詰まっていると思う。約200分と長尺だが、この長さには必然性がある。通常の映画で省かれるような描写(淡々と繰り返される日常の動作・家事)が「省略されずに映し出されていること」自体が作品のテーマ性と結びついていて、この時間の使い方でしか捉えられないものを捉えているからだ。

終盤の「殺害シーン」によって、主人公ジャンヌのそれまでの淡々とした反復行為への印象が一気に反転してしまうところは、あまりにスリリング。ただ、「ある時、日常のリズムが狂い始め」やがてラストシーンに至るという展開はドラマチックで確かに気をそそられるものの、この映画にはその作為性すら余計だったのではないかという気さえする。最後まで観た後では、もっと些細な綻びだけでも事件が起こる兆しとしては十分過ぎるのではないかと思うくらいに、それまでの日常の反復が残酷なほど虚無的なものだったということが分かってしまうのだから。

❒ 2月12日
2度寝してたっぷり寝た。もう一度『THE FIRST SLAM DUNK』を観に新宿へ向かう。14時ごろ着。上映は夕方からなので、珈琲らんぶるでしばらく時間を潰す。ケーキとコーヒーのセットを注文。上映時間にTOHOシネマズへ移動。いまだにたくさんお客さんが入っていて、作品の人気を実感する。なるべくメインのストーリーライン以外に目を向けて観ると、一度目の鑑賞では分からなかった細かい部分にいくつか気がつき、また別の角度から楽しめた。それから、試合描写は何度観てもスリリングで手に汗握る。

帰り道。歌舞伎、人多すぎ。変な邪気も一緒に吸った。帰宅前に軽く一杯ひっかける。たぶん今年初めてアルコールを摂取した。お腹の調子がだいぶマシになってきた。夜、なんだか急に虚しく惨めな気持ちになった。最悪。

❒ 2月18日
今週は、今年最高記録を叩き出すほど調子が悪かった。肩や腰の凝り具合も最悪。その上、数年は続きそうなとても悲しく辛い出来事があり、気鬱に拍車をかけた。午後まで全く動けず、16時半ごろ新宿へ。シネマカリテで『コンパートメントNo.6』を観る。

画面に映し出されるのは、寒々としたロシアの風景や狭く薄暗い列車内ばかり。その余計な装飾や光のない映像世界がかえって美しく、内省的な雰囲気を際立たせている。まるで夢の中を旅するロードムービーのようだ。またそれでいてユホ・クオスマネン監督の前作『オリ・マキの人生で最も幸せな日』同様、どこかチャーミングな映画に仕上がっている。

「物事(や人間)を一面的に捉えてはならない」というスタンスも前作と共通している(『オリ・マキの人生で最も幸せな日』では、"幸せ"についてのオルタナティブな視点を提示していた)。撮影や演出のスタイルはシンプルでミニマルだが、内容は奥が深い。「普段インテリ層とばかり付き合っているラウラ」と「粗野なロシア人労働者のリョーハ」が思わぬタイミングで交わることになってしまう、という分かりやすい対比構造の中から、より複雑な関係性の移ろいや人間感情の機微を描き出している。

特にリョーハの方は、主人公ラウラ以上に複雑なキャラクターで、その行動原理や感情表現には辻褄の合わない「謎」な部分が多く、観客の想像力が試される。こういうキャラクターは、ともすれば「見せ物として奇抜なだけ」という印象になりがちだが、本作では「この複雑さこそがまさに人間なのだ」という実感を伴ったリアルな人間像として迫ってくる。彼がぽつりと「みんな死んでしまえばいい」とこぼすシーンがある。実は、ある"痛み"を抱えていて、それが彼の人格形成に影響を与えてしまったのかもしれない。ラウラとの距離感の不器用さを見ると、それは何か大きな"喪失"であったのかもしれない。ただ、その背景もまた語られることはないのだ。

リョーハの登場シーンは最悪(「失礼」を超えた犯罪レベルの粗暴さ)であるにも関わらず、途中から可愛く思えてきて仕方がなかった。ユホ・クオスマネン監督は、チャーミングな男性を描くのが上手すぎる。原作通りだろうが、舞台がロシア、リョーハがロシア人であるという設定も今の社会情勢を思うと興味深い。

上映終了後、居酒屋へ行き何杯か飲んで食べて帰宅。ちゃんと胃の調子が悪くなった。『アトランタ』シーズン4観始めた。

❒ 2月19日
映画2本観た。運動した。

アンモナイトの目覚め』。繊細な演出と映像。『ゴッズ・オウン・カントリー』同様、丁寧でとても良い映画だった。フランシス・リー監督は、自然と労働と愛を瑞々しく描くことに長けている。そして何より、ケイト・ウィンスレットシアーシャ・ローナンの二人の演技が素晴らしい。

『女と男のいる鋪道』。個人的アンナ・カリーナのベストアクト(の一つ)。A面:『女と男のいる鋪道』、B面:『修道女』という感じで。この映画のカメラは、とにかくアンナ・カリーナを可愛く魅力的にとらえている。

❒ 2月25日
12時頃新宿。秘密基地みたいなBar DUDEで、ランチ限定30食のキーマカレーを食べる。ちゃんと美味しいのに、ドリンクとセットでも安すぎて心配になる。温玉をトッピング。売り切れ覚悟で来たけれど他にお客さんはいなかった。雰囲気良いし夜も来てみたい。

新宿ピカデリーへ行き『ボーンズ アンド オール』を観る。モラルを飛び越えた奇妙な映画であることは確かだが、基本的には(アメリカン・ロードムービーへの愛を湛えた)アウトサイダー同士の普遍的なラブストーリー。そういう意味でも『僕らのままで/WE ARE WHO WE ARE』に連なって位置付けられる作品。カニバリズムが何を意味するかなど色々な解釈の余地があるが、考えるよりもまず先にその画面の力に酔いしれてしまう。全ての瞬間が、シークエンスが、美しくて気持ち良い。

カニバリズムについての設定がぼんやりとしているのは、それがテーマではなく、あくまでメタファーでしかないからだ。だから、"視点"が重要ではあっても「矛盾をつくような物語考察などはあまり意味をなさない」という意味でも極めて映画的な映画だと感じる。

珈琲タイムス混んでてスルー。珈琲らんぶるで一杯飲んで少しダラダラして帰宅。

❒ 2月26日
いつも通り映画を2本観て、運動しただけの日。

子猫をお願い』。重たい現実を反映しつつもどこかチャーミングな作品で、偏愛する一本になった。もしかすると「洗練された映画」とは言えないかもしれないが、映像も良いしキャラクターたちも魅力的(華僑の双子姉妹の役割と扱いはややゆるく感じたけれど)。学生生活を終えたばかりの若者の仕事や将来、家族への不安、関係性の変化が巧みに描かれている。現在にも通ずる普遍的な内容だが、当時の韓国社会を反映した時代の記録としても優れている。

何もなければそのまま仲良しでいられたはずの5人の関係性が、制服を脱いだ途端"社会"によって揺さぶられる様はリアルだ。一度観終わってからすぐに、もう一度前半を観直したら、その後の展開を予感させる細かい描写がたくさんあり、繊細で丁寧な映画であることがよく分かった。それから、一番鼻につくキャラクターのヘジュにもとてもバカにできないくらいの苦悩とプレッシャーがあったことも。わずかな希望を提示してあっさりと終わるのも良い。Good Byeって…最高。

『ザ・プレイヤー』。すごい豪華でよく出来た風刺映画。こういう役のティム・ロビンスいいな。劇中で語られているヒットする映画の条件=スターの出演、セックス、バイオレンス、サスペンス、ハッピーエンド等を本作自体が満たしていて、しかも結構ヒットしてしまったのが一番の皮肉。

❒ 2月28日
突然休みになった。お気に入りのバーガー屋に行って食べて、映画館へ向かう。

『別れる決心』を観る。思った以上に奇妙なラブロマンスで、とても面白かった。これまでのパク・チャヌク作品で印象的だった過激な暴力シーンや性的なシーンを抑えて、一見「普通に洗練された映画」っぽく見えるのが、余計にストーリーテリングの奇妙さを際立たせている。それでいて、視線や表情によるやり取りなどの細かい演技・演出から、暗喩や象徴を多彩に織り込んだプロダクションデザインまで丁寧に設計されていて「2度以上観るべき」と言われているのも頷ける。

どう転がっていくのか分からない物語の吸引力も相まって、最後まで全く飽きない。だが最も好きなのは、パク・チャヌクらしくシリアスな場面でも絶妙な塩梅で笑いを混ぜてくるところ。それから、キャラクターたちがみんな可愛いところ。

上映終了後、近くに座っていた大学生くらいの若い男の子が必死に何か探していたので、スマホライトで照らして一緒に探してあげる。上映中にスマホを落としたらしい。あらゆる隙間を覗いても見つからない。本当にここで落としたのかよと思うくらいに。「もう大丈夫です」と言うので、気になりつつ劇場を後にした。

練馬区立美術館へ行き「本と絵画の800年 吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション」を観る。書物と絵画の歴史を感じた。帰宅して軽めに運動。

夜、『パラダイスの夕暮れ』を観る。元々派手とは言えないカウリスマキ作品の中でも本作は特に地味な物語として分類されそうだが、「ただの映画」という感じがしてとても好みだった。いい意味で「大したことない」だけに味わい深い作品。独特の青みがかった映像に、ブルーの被写体や主人公ニカンデルのネイビーカラーの服装が映える。イロナの服装にイエローが多いのもその対比として視覚的に気持ち良い。ラストシーンで、ニカンデルとイロナの2人を乗せて出航する客船を見送るお友達(メラルティン)のショットが最高。彼のクローズアップで妙に嬉しい気持ちになってしまった。