2023年5月のこととか

❒ 5月3日
引きこもった。出かけるつもりだったけど、起きて飯食ったら強烈なだるさに襲われた。週6勤務の疲れからだろうか。今日からのGWも1日ごとに仕事が入っていて、連休は無し。今公開中の映画、観たいものがたくさんあるのに全然観れてないな。家で映画2本観て運動した。

『アネット』。自分の想像の範疇を超えた、全く新しい一つの表現形態を見たような気がする。「映画におけるリアリズムとは何か」を考えさせられずにいられない。登場人物が常に歌っていたり、生まれてくる子供・アネットが人形だったりする虚構性にこそなぜか強烈な映画的リアリズムを感じる。一周回ってどんなミュージカル映画よりもすんなり入り込めたような。古典的かつカオスな世界の中に散りばめられた#MeTooなどの現代的なモチーフも浮くことなくしっかり落とし込まれていて、多角的な映画になっている。アダム・ドライバーの威圧的な身体と暴力性に恐怖するモンスター映画でもあった。

『LETO -レト-』。突如始まるバスや列車の中でのミュージカル風のシーン(トーキング・ヘッズの「サイコ・キラー」やイギー・ポップの「ザ・パッセンジャー」が流れる)が演出的にポップで気持ち良く、自由な喜びに満ちているからこそ、80年代当時のソ連の息苦しさや閉塞感を余計に際立たせる。そこで毎回とどめのように、ある男が「これはフィクション」と伝えてくるのが、ユーモラスだが重々しい。そんなことは言うまでもなく分かっているのですが。

キリル・セレブレンニコフの次作『インフル病みのペトロフ家』と作風は結構違うものの、"ある時代"を描くことでおそらく現在のロシアの政治的状況も風刺しているところなどは共通している。青春映画だが安易なノスタルジーのようなものはまったく感じず、現在のロシアだけでなく、ひいては日本も含む世界の状況に対応しているようで、きちんと"今の映画"になっていた。それからどちらの作品も、突如始まるマジカルなシークエンスの力が圧倒的で惹きつけられる。

❒ 5月5日
15時過ぎ頃、友人と東京駅で待ち合わせ。遅めの昼ご飯。駅構内のある店の前まで行って整理券を取ったが、メニューや写真を見たりしているうちにどんどん値段の割にしょぼく思えてきたので入るのをやめてしまった。「絶対に街の中にある店の方がいい」とか「大体、こんなところにある店は何も知らない観光客しか行かないんだよ」とか偏見まみれの文句を垂れながら移動。とりあえず、目的地の近くの八丁堀駅まで電車で行く。THE BURGER SHOP doというバーガーショップに入る。余計な味付けは何もしていないのにめちゃ美味い。朝から何も食べていなかったので大満足。こっちに来てよかったと心から思った。店内の雰囲気も好き。

店を出て近くのコンビニでお酒を買って、目的のスタジオ七針に行く。マブダチ、ミレーの枕子のソロ弾き語りと、ミレーの枕子バンドのライブ。なんか知らんけどここ最近月1回ペースで東京でライブをしてくれていて嬉しい(来月も下北沢でライブの予定がある)。チケットソールドアウトしていただけあって、会場はパンパン。たくさん歌ってるのに水全然飲まなくて心配で「こいつポール・マッカートニーじゃん!」と思った。楽しかったです。他の出演者の方々もすごくよくて、かなりプロフェッショナルな空気を感じた。今回もミレマクの物販は大人気で、自分と友人は他のお客さんの邪魔にならないように列が捌けてから「お疲れ様」を言いに行った。「またみんなで旅行とかしようね。次は熱海だよね」と言っていて、なんか勝手に行き先決まってるっぽくてウケた。

クローズが早いから、七針を出てもまだ大した時間じゃない。このまま帰りたくなくて、友人と一緒に周辺をぶらぶらする。この辺はあんまりお店がないからとりあえず隅田川でも行くか、ということになり、ファミチキとポテチ買って中央大橋というバカでかい橋のど真ん中の意味分からないだだっ広い空間で夜景を見ながら打ち上げ(?)をした。

❒ 5月7日
天気悪すぎてだるすぎ。日中、姪っ子甥っ子たちとゲームしたりしてひたすら遊んでいた。夕方、少し寝た。運動できず。

夜、『リトル・オデッサ』を観る。ジェームズ・グレイ、これを20代半ばで撮ったというのは信じられない。コッポラやスコセッシなどのバイオレンス映画・ギャング映画の先達の単なるモノマネのようにも見えないし、何の衒いもなくて、もう既に円熟味すら感じる。演出や映像はドライで寒々しいが、ロシア系ユダヤ人という自らのルーツに基づいた、監督第一作目にふさわしい切実な作品になっている。ユニークだったのは、人が死ぬ時の「ただ死ぬ」感というか、一気にモノ化するあの感じ。リアルで異様なおそろしさがある。

寝る前に『ピーター・パン&ウェンディ』観た。酷評も多いが、割と何でも楽しめてしまうガバガバ人間的には結構楽しめた。ポリコレがどうこうとかより一番気になったのは、ピーター・パン役の子のアクションで、他のキャストと比べても全然動けていなかったように思う。昔、ジェームズ・バリーの原作小説を2冊(確か「ピーター・パン」の原作本は2冊あったはず)読んだ時はその哲学的な内容に驚いた。本作もまたワクワクするファンタジーであると同時に、さり気なく哲学的な内容になっていて、さすがはデヴィッド・ロウリーだと思った。特に、生きる楽しみを失ってしまった大人として描かれる本作でのフック船長の存在は、"現在の生き方"についての問いを大人たちに突きつける。

明日からの6連勤が嫌すぎて、就寝拒否。真夜中まで現実逃避。2時半頃寝た。

❒ 5月13日
雨。引きこもった。映画観た。運動した。週に1度の休みが雨だなんて、生来の出不精なのに外出するわけがない。劇場で観たい映画がたくさんあって破裂しそう。

AIR/エア』。アメリカ映画らしい「お仕事映画」の快作。根回しや説得のような地味な会話の描写も丹念かつテンポよく積み上げていき、その先に成功への跳躍とカタルシスが待っている。"普通におもしろい"映画を観た喜びがあった。

自分だけでなく会社や同僚まで巻き込み「負けたらおしまい」の勝負に全ベットする主人公ソニーの大胆さとか、"ただの靴"(劇中でのソニーのセリフからの引用)の発売・契約が、文化やその後の産業構造まで大きく変えてしまうような規模感もアメリカらしい。エアジョーダンというスニーカーは誰もが知っているほど有名なのに、誕生にまつわる話はまったく知らなかったので、純粋に雑学としても面白かった。何気にマイケル・ジョーダンの母親がキーパーソン。

『血煙高田の馬場』。カラッとしていて湿っぽくない、めちゃめちゃ好きなタイプの時代劇映画。ラストの殺陣とか本当に素晴らしい。『ピーター・パン&ウェンディ』を観た後だからか、余計にそう思う。安兵衛が高田の馬場まで走るシーンのリフレインと大胆な時間の嘘も映画的過ぎて観ていて清々しい気持ちになった。

『アド・アストラ』。『2001年宇宙の旅』を思わせる静謐な映像世界に哲学的な趣まで継承しているが、本作はもっとパーソナルな父と子をめぐる物語。壮大なSF大作映画でありながら、ジェームズ・グレイの関心はあくまで"人間"にあって、ここでの宇宙は人間の「孤独」や「居場所」について、あるいは「人間性」自体について問うための舞台となっている。物語の下敷きになった『地獄の黙示録』や『闇の奥』のように、奥地へ向かえば向かうほど映画はどんどん内省的な様相を帯びていく。

一気にモノ化する死体のおそろしさや、父親へのコンプレックスとトラウマが重要なモチーフになっているところなどは、題材のかなり違う第一作目『リトル・オデッサ』とも共通していて興味深く思った。

❒ 5月20日
頑張って朝起きた。

11時20分からユナイテッド・シネマで『TAR /ター』を観る。観終わってからしばらくは何の言葉も出てこなかった。観ている最中も「自分は今何を観ているのか分からないが、何かものすごいものを観ている」という感覚が常にあって、約2時間半の間ひきこまれ続けた。まるでホラー映画のように終始画面が暗いのも不穏でおそろしい。実際(特にある重要なシーン以降は)、ホラー映画として観ることもできる。

芸術活動と私生活との関係性や、キャンセルカルチャーが重要なモチーフになっていることは明らかだが、是か非かではないもっと複雑な機微が描かれている。まず、これまでの映像作品では主に中年男性が演じてきたような"腐敗した権力"の姿を女性(ケイト・ブランシェット)が演じていて、しかもそれがレズビアンの設定であるというところからして入り組んでいる。加えて、現実なのか主人公の見た幻覚なのか、あるいは心霊現象なのかも分からないようなシーンが随所で描かれており、観る者の混乱を誘う。

だが本作の最も素晴らしいところは、何よりもまず初めに優れた"映像と音響の芸術"としてあるということだ。あれこれ考えるよりも先に、五感から圧倒されてしまう。容易にはとらえきれないが、まるで毒を喰らったかのように確実に心身に影響を及ぼしてしまう強烈な映画だった。ケイト・ブランシェットのヤバすぎる怪演も頭から離れない。

上映終了後、ハンバーガーを食べにTHE GIANT STEPに向かう。14時半頃なのに結構並んでいて、しかもこぢんまりとした店内にも列にもなぜかカップルしかいなくて一人で少し気まずかった。奮発してセットにプラス追加料金で辛口ジンジャーエールを注文。相変わらずうまい。ハンバーガーにブロッコリーが合うというのは、この店で初めて知ったこと。

食べ終わって新宿へ向かう。16時、南口のバスタ新宿前で、踊ってばかりの国のフリーライブを観る。ライブ後、17時10分にシネマカリテへ。驚くほど無駄のない時間割。

『EO イーオー』を観る。大した筋も無くて、完全に映像と音響の芸術だった。純粋な映画的映画。『TAR /ター』と同日に観たからすごい日になってしまった。ロバの目を通して描かれる人間の営みには、もちろん風刺の意味が込められているが、映画として強いメッセージや明確な判断は前傾化しておらず、ひたすら目の前で起きる出来事に揺さぶり続けられるような90分間。80代にしてこんなに強烈で迫力ある瞬間の連続をとらえることができるイエジー・スコリモフスキのソリッドさは驚異的だ。

観るまではあまり意識していなかったが、他の生き物でなく"ロバ"であるというのも重要な意味があるのだろう。人間にとっては便利で、文明の発展にも重要な役割を担ってきたはずなのになぜか価値は低く見積もられ、それどころか「愚鈍」の象徴として蔑まされてさえいる動物。本作はそんな「次元の違うアウトカースト」のロードムービーであり、そういう存在であるロバの視点からこそ明確に立ち現れてくるものがある。

「私たちは一体、今までにロバの気持ちなんて考えたことがあっただろうか?」思わぬ角度から想像力を与えてくれる映画だった。

帰りにアディダスを見かけたので寄って、最近出てから気になっていたトラックパンツを試着する。意外と買うほどでもないなぁと思って店を出た。帰宅。家でカレー食べた。寝た。

❒ 5月21日

時間が経ってから日記を書いたら、何をしたのか忘れてしまった。忘れてしまうくらいだからたぶんほとんど何もしていない。

アモーレス・ペロス』を観た。繊細で荒々しい"愛と喪失"のモチーフが詰まった熱い映画だった。上映時間は少々長いけれど、3話すべて観ると相応のカタルシスがある。最近観たジェームズ・グレイの『リトル・オデッサ』と並び、監督デビュー作というのが信じられないほどの作品。というか、たとえ次作以降の作品に洗練度では劣っていたとしても、これがイニャリトゥの最高傑作なのかもしれない。犬が死にまくるのは見ていて辛いけれど「犬が死にまくる」こと自体がこの映画の本質であるという気がしている。

❒ 5月27日
髪切りたいから家にいた。起きてカップヌードル食べて、散髪。夕方、コーヒー飲んで一服してから運動した。

リトル・チルドレン』を観る。『TAR/ター』に劣らずものすごい映画だった。『マグノリア』や『アメリカン・ビューティー』を連想するほど滑稽でシニカルな群像劇。観ながら心底「人間社会が嫌」だし「自分が人間に生まれたこと自体も嫌」と思ってしまったが『TAR/ター』と同様"やり直し"の物語でもあって、決して厭世的な作品ではない。

正直言って自分には、どうしようもない(状態に陥った)人間に、他人事とは思えない(善悪を超えた)シンパシーがあるし、"やり直し"は今の時代の極端な空気や傾向を考えても重要なテーマであると思う。16年の歳月を経てもなお、引き続き同じ主題を変奏しているトッド・フィールドの作家性が見えてきてより好きになった。

❒ 5月28日
2度寝して昼前ぐらいに起きた。適当にあるもの食べて、出かける準備を済ませたところでダラダラしていたら15時ごろになっていた。最近近所にできた公園を散歩。抜けて行くとちょうど駅がある。あんまり暇だからそのまま電車に乗った。なんとなく池袋で降りて、適当に見つけた居酒屋に入って2杯ほど飲んだ。「一人飲み」というものの面白さがよく分からない。そのまま引き返してまた同じ公園を抜けて帰ってきた。

夜、本読んだりゲームしたり。映画観ようと思ったけど疲れるからやめておいた。観りゃ良かったーと後から思った。気持ち的になんかだめな日だった。明日からまた週6勤務期が始まる。始まってしまう。