2023年1月のこととか

1月1日
起きてお雑煮食べた。年末年始はムードにやられて気分が重くなることの方が多い。無理にでも動こうと思い、散歩に出かける。元日の町内をパトロール。去年と同様小さな神社に大行列ができていた。しばらく歩いて無印に寄り、新年の景気づけに下着を買う。お気に入りだったやつ、なんかダサくなっている? 一応買った。そのまま吸い込まれるように行きつけの古着屋にも向かってしまう。1万円分くらい買った。やばい、最近本当に物欲バルカン半島だ(語感が気に入っているけれど意味不明な言葉)。欲しいものがあと2点くらいあったが、なんとか我慢した。実は、ネット通販でも年始セールで既に少し買っている。ドラッグストアに寄って、姉に頼まれていた子供用の酔い止めを買う。

実家で甥っ子姪っ子たちにお年玉を渡す。それから、昔風呂場でタイダイ染めしたパーカーを甥っ子にあげた。小さくて着ていないけれど、色味は最高なやつ。甥っ子の体格にいい感じのサイズ感。夕方から夜までひたすら子供たちと遊んでいた。成長して調子よく遊べるようになってきている。キャッチボールは前よりしっかりできるし、将棋は強すぎて敵わない(自分が弱いだけというのもある)。遊んでもらったからか、今日は逆流性の症状が軽い。一人で不安な時に酷くなるのかもしれない。就寝。

2023年、相変わらず向上心のようなものはないし、何かチャレンジしてみたいことなどもあまりない。今年も幸せに健康に暮らしていけたらそれでいいな。それこそ難易度の高いことだと思うけれど。

1月2日
今日も甥っ子姪っ子たちとひたすら遊ぶ。Switchのゲームにだいぶ付き合わされる。一人の時間がほとんどない。そんなことも正月くらいだからいいか。

夜は、姉夫婦や弟と集まり、焼肉食べて飲む。自分はお酒を一滴も飲まず、食べ物も控えめにした。子供パワーか、控えめとはいえ焼肉食べた割に今日も症状が軽い。

1月3日
あっという間に正月休み最終日。明日から仕事に行ける気が全くしなくて心が苦しい。今日も昼間は子供たちとずっと遊んでいた。

夕方、気合いで運動。寝るまでに映画を3本観る。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』。ドキュメンタリーとしてだけでなくアート・フィルムとしても優れていて、映画自体がヴェルヴェッツっぽくてかっこいい。ライヴ映像やプロモーション映像がほとんど残っていない分、アンディ・ウォーホルや当時の実験的映像作家の作品・映像を用いて、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドというバンドと60年代NYのクリエイティヴなアート・シーンを包括的にとらえている。

『ウルフウォーカー』。カートゥーンサルーンケルト3部作の中では最も純粋に楽しめた作品。随所に分かりやすい対立構造が用いられているが、この分かりやすさでしか表現できないこともあるよな、と思ったり。アクションシーンもスリリング。絵も美しくて可愛いし、技術的にも進化している。「あなたのため」という抑圧はマジで身に染みます。ラストも潔くて気持ち良い。

『オリ・マキの人生で最も幸せな日』。16mmフィルムで撮影されたボクシング映画といえば昨年公開された傑作『ケイコ 目を澄ませて』が記憶に新しいが、本作も負けじといい映画だった。ボクシング映画といえどストイックなスポ根モノではなく、"幸福"について少しだけ考えさせられつつ爽やかな余韻の残る、シンプルでチャーミングな作品。タイトル通りの展開にほっこりして少し笑ってしまう。とはいえ「人生で最も幸せな日」とは、スポーツ興行のネガティヴな部分との対比でもあるので、ただゆるいだけの映画でもないのだ。そのバランスもまたいい。

「ストイックにボクシングと向き合う」こと自体が主題ではないところもそうだが、『ケイコ 目を澄ませて』と最も共通している部分は「16mmフィルムだって、現代に通用する純粋な強度の高い映画が撮れてしまう」ということだろう。

1月8日
昨日も仕事があって疲れたので、家でゆっくりする。

『ホワイト・ノイズ』を観る。これまでのノア・バームバックのパーソナルなテイストとは異なり、群衆まで射程に収めた規模の大きい不条理コメディ。"死への恐怖"というテーマは一貫しているが、3部構成で内容ぎっしりなので分かりづらい部分も多々ある。会話の内容も独特だ。ただ言えるのは、この混沌(混乱)と不条理こそが社会の現実的な病理なのだろうということ。パンデミックでのごたごたを経験した私たちは、そのことを身をもって知ってしまった。

夕方、運動してだらだらしていたらあっという間に一日が終わった。

1月9日
11時頃、下北沢。再開発されて以降まともに歩いていなかったので散策に向かう。まず下北線路街を世田谷代田駅方面に向かって歩く。沿道は整備されたばかりということもあってさすがにきれいで、おしゃれでユニークなお店がたくさんできている。昼時、茄子おやじで腹ごしらえ。かなり久しぶり。めちゃくちゃ好きなカレーだけど、辛さに弱めな舌なので後半が少しきつい。でもその感じがいい。出て、再び散策。北沢川周辺にはかなりハイソな感じの住宅街があることが分かった。行きたかったギャラリーかんかんというアフリカ骨董ギャラリーは休み。残念。喫茶店ブリキボタンで一休み。ソファ席は正義。

店を出てから今度は下北沢駅北側に向かう。古着屋はできるだけスルーするようにして歩く。無限に欲しいものが見つかりそうだからだ。アクセサリーやアンティークや椅子、家具のお店などを何軒か見る。昔はごちゃごちゃしていてとっつきにくいイメージもあったが、意識して回ると色んなお店があるのでやっぱり楽しい。

夕方、この日のもう一つの目的地、サウナへ。サウナ室10分前後→水風呂→外気浴で休憩の流れを4セット。今まで適当にしか入ったことのなかったサウナだが、初めてしっかり流儀(?)に則ってこなしてみた。サウナは癒し、というより「ギリギリまでサウナ室にいて汗だく」→「水風呂冷たいけど頑張って入る」を繰り返す感じはストイックで、筋トレみたいだなと思った。全てこなした後の風呂が最高に気持ち良い。初めてにしてはそこそこ抜かりなくやったので「小ととのい」くらいの恍惚感はあるけれど「大ととのい」にはおそらくまだ達していない感じ。驚いたのは、サウナ室でしっかり暖まった後であれば、冬の寒空の中10分近く外気浴していてもあまり寒くないということ。それから、チキンハートなのに水風呂は頑張れば案外入れるということ。謎なのは、水風呂にひたすら長時間浸かっている猛者がたまにいること。

1月14日
映画2本観た。だるすぎて運動はできなかった。天気のせいか気圧のせいか、明らかに不調。夕方、また寝た。

『プラットホーム』。2000年に公開された本作は、1979年から91年までの中国の激動の12年間を描いているが、安易なノスタルジーに陥ることなく冷静に時代の変化を切り取っている。ドラマはあるけれど立ち入り過ぎず、役者から常に一定の距離を保つカメラは、正直言って少しとっつきにくい。この映画を芯から十分に味わうためには、中国の文化史や歴史への強い関心も必要かもしれない。しかし、スケッチ的に描かれた若者たちの姿を通してより大きな時代の変遷までとらえているのは、映画として理想的なあり方だ。時代は常に"今まさに変化している"のだし、その渦中にある2023年に観てもアクチュアルなものとして響く。

ふたりのベロニカ』。一瞬苦手なテイストかと構えたけれど、黄色みがかった映像とイレーヌ・ジャコブの美しさにじわじわ惹きつけられる。ちょっと少女漫画のような話で、案外肩の力を抜いて観られる。それから、他の映像作品では感じたことがないような唯一無二の異様な空気感とサスペンス・ホラーのような趣が独特で良い。繰り返し観たら偏愛する一本になりそう。

1月15日
大して何もせずだらけていた日。でも、運動はできた。映画も1本観た。

『ベルリン・アレクサンダープラッツ』。長尺だが、スタイリッシュで緊張感のある映像とサスペンスフルな展開によって飽きずに観られる。心を入れ替えて善い人間として生きようとするものの社会的・構造的な障壁にぶつかり、どうしても悪の道に引きずり込まれてしまう。この辺りの主人公の設定は原作と同じのようだ。大きく異なるのは、時代設定を現代にした上で、ベルリンのいち下層労働者であった主人公を、アフリカからドイツにやってきた不法移民の青年に置き換えて物語を創造しなおしているところ。現代的で現実的な問題意識が強く反映されている。

 「移民」を描いた映画でその固有性を完全に無視する訳にはいかないが、環境や境遇が人間の性質を決める大きな要因になるという意味では、あらゆる人間に通ずる普遍的な物語である。この構造自体は、原作小説が書かれた100年前から全く変わっていないのだろう。

夜、友人の転職先の志望動機の文章の相談に乗る。案を出したり、考えて参考までに書き換えてみたりしていたら熱中して結構遅い時間になってしまった。ガンバレ。就寝。

夜明けごろ、目が覚めたのでしばらくぼーっとしていると、目の前にはっきりとした姿の幽霊が現れた。「ついに来たか本物」と思い恐怖に支配されそうになると、なんだか急に腹が立ってきて、絶対に負けんぞ来るなら来いという気持ちが湧いてきた。体を少し起こして身振り手振りで挑発し続けていると、そのままゆっくり消えていった。しかし、その後すぐに「今のが本物の幽霊であるはずがない」と思い至った。きっと白昼夢や幻覚か何かだ。理由は2つ。1つは、見た目が『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』のゴーストみたいな、布を被ったいかにも「ザ・ゴースト」といった感じのお化けだったこと。そんなステレオタイプな幽霊がいるか。2つ目は、幽霊が現れた際、寝ている時に見る夢のように、謎の設定や背景を瞬時に受け入れいていたこと。具体的には「前日に『明日の朝幽霊が現れる』という予告を受けた」つもりでいたが、よく思い返してみると昨日そんな予告を誰かに受けた覚えはない。なんだか、世間で言われている心霊現象って冷静に分析すると大体こんなものばかりなんじゃないかと思い、また疑いが強まった。ホラー映画とかは大好きなんだけれども。

実際、幽霊は存在するかもしれないし、心霊現象も本当にあるかもしれない。だけど、多くの体験談を聞いていると、自分自身の知覚や自分を含む集団の知覚の方を先に疑わない自信がすごいなとよく思ってしまう。自分は、自分自身や人間の知覚を信じていないところが昔からあって、ひねてオルダス・ハクスリーウィリアム・バロウズを読んだり、デヴィッド・リンチの映画を観たりしていた頃にその感覚は更に増強されたように思う。

1月21日
運動して映画を3本観た。土曜日、一旦動けないモードに入ると全く動けなくなる。

黒猫・白猫』。基本的にしょうもない、肩の力を抜いて観られる祝祭コメディで最高だった。観る前は、アートワークの雰囲気から勝手に、ロイ・アンダーソンのような不条理コメディをクストリッツァが撮ったのかと思っていた。『ワンピース』ばりにキャラクター達が濃いのも最高。ラストも最高。

『火祭り』。この頃からすでにファルハディの卓越した演出・撮影・編集・ストーリーテリングの技法は確立されている。『別離』同様、オリエンタリズムやエキゾチシズムでは片付けられない良い意味での普遍性と、イラン社会固有の文化背景に根ざした描写(問題意識)の奇跡的な両立もすでに行われている。サスペンスの芯はまだ今ほど太くないけれど、それはそれでまた魅力的。

悪魔のような女』。「もしや心霊ホラーかも?」と思わせるような演出、二転三転する展開など、観客を楽しませようとするサービス精神満点の映画で面白かった。また谷崎潤一郎も評していたように、役者陣が適役。皆そういう人にしか見えない。

1月22日
映画観るため14時ごろ新宿へ。友人との待ち合わせ場所では、言葉にするのも不愉快な内容の演説が行われていて、しかも途中からモメ始めていた。少し早く着いたので、ポールにもたれかかってボーッとしていると、一人の外国人男性が話しかけてきた。「Excuse me. Can you speak English?」と聞かれ「A little.」と答える。全然喋れないのによく言えたもんだ。英語で正確に何と言っていたかわからないので、ここからは意訳。「僕はカナダからの旅行者なんだけど、あれは何をしているの?」「He is a racist. Hate! This is hate speech.」と答える。「あー、あらゆる場所でそういうことはあるね。僕もカナダで、肌の色で差別されることがあるよ」と言っていた。しばらく2人で話していると、今度はハンサムな日本人のお兄さんが「あれ何やってるんですか?」と話しかけてきて、あらましを説明する。そしたら今度はペラペラの英語でカナダ人と話し始めた。英語喋りたくて来ただけかい。友人が到着したので「Have a good day!」と言って離れる。

まだしばらく時間があったので、適当に映画館の近くの喫茶店に入る。入ってから気づいたけれど、ちょっと高級なお店だった。コーヒーが一杯1100円もする。時間潰して、映画館へ。

『ノースマン 導かれし復讐者』を観る。今までのロバート・エガースの作風と比べるとだいぶ挑戦的な規模感の作品なので正直そこまで期待値は高くなかったけれど、予想以上に楽しめた。迫力あるヴァイキングの雄叫びや唸り声が全編を支配し、高揚感のある音楽にダークかつハイテンションで暴力的な映像が2時間以上続くためけっこう疲れてしまったことは否めないが。展開も常に早い。例えば主人公のアムレートが縄で吊し上げられるシーン。普通の映画では、しばらくそのままの状態に置かれ、やがて「やっと脱出することができた」という解放のカタルシスが訪れることが多いが、この映画ではすぐにカラスが集まってきて外してしまう。「早!」と思って少し笑ってしまった。

本作で最も素晴らしいと感じたのは撮影。カメラ1台によるシングル・カメラ方式を採ったのが完璧に奏功していたように思う。あらかじめ構図やカメラワークをストイックに計算し尽くしていることが、あらゆるショットからしっかりと伝わってきて、北欧神話に基づくファンタジックな描写も多い中で、映画としての純粋な強度を保っている。アクション・シーンのアングルがやたらコロコロと変わらないところも、独特の臨場感を生み出している。そういったスペクタクルの面だけでなく、炎やカラスなどの呪術的・象徴的な意味合いを持つ対象物を映し出す何気ないショットが、極めて禍々しく撮れているところも信頼に値する。とりわけ、炎("黒"が支配する映像の中で神々しく灯る)が映し出されているシーンは、どこをとっても特別な美しさと恐ろしさを湛えていた。また、これは観る人にもよるだろうが、リベンジものであるにも関わらず、良い意味でほとんど感情移入ができない(終盤まで観たなら特に)。誰にも強く感情移入できないが、ほとんどの登場人物が不憫に感じられる。このバランス感覚が絶妙だと思った。

1月28日
13時過ぎ頃、若葉駅。ショッピングモールでしばらく時間を潰してから『THE FIRST SLAM DUNK』を観る。

ほぼリアルタイムで進んでいく試合描写の異常なまでにこだわり抜かれたアニメーション表現は圧巻だった。ほとんど説明抜きに登場人物(特に主人公・宮城リョータ以外の、回想シーンのあまりないキャラクターたち)の関係性や性格を浮かび上がらせるストーリーテリングも巧み。宮城リョータのバックボーンもドラマも結局は、全て試合でのアクションに集約されるところもストイックでかっこいい。「漫画の天才」にとどまらなかったのか井上雄彦。技術力や資本力も重要だけれど、結局は作家性が作品の良し悪しを決めているのだろうな、と観ていて思った。

一応自分は原作漫画を全巻持っている勢だけれど、一本の映画として完成されていて、おそらく何も知らなかったとしても楽しめたはずだ。原作ファンをノスタルジーに浸らせるだけの所謂「総集編」ではなく、映画オリジナルの視点で"痛み"と向き合う物語を再構成したのはアクチュアルで、今リメイクされた意義の深さを感じる。特に震災後の日本では。

ゴリとタッチした桜木が後ろでさりげなく痛そうに手を押さえて走っていくシーンとか(あれ原作を知っているからこそ見えた幻とかじゃないですよね?)結構細かい描写があり、何度観ても新たな発見がありそう。桜木の「おめーらバスケかぶれの常識はオレには通用しねえ!シロートだからよ!」(初めてアニメーションを手掛けた井上雄彦の境遇にも重ねられる)というセリフに改めて痺れた。

夕方、川越市駅まで電車で移動。有名な川越氷川神社に向かうも既に閉まっていた。小江戸散策。ひたすら歩いて、まだ開いている神社などを回る。デカいワラビーで(200年ぶりに買ったブーツ)。サイズ感が大きいのでびびって小さめにしたつもりが、それでもブカブカでインソールを詰めたやつ。歩きやすい靴だけど、これだけ歩くとさすがにスニーカーよりは足が疲れることが分かった。蔵造りの町並み、時の鐘、洋館建築、菓子屋横丁など一通り見て回ることができた。

夕飯時、適当に見かけたインドカレー屋さんに入って食べた。その後も夜の川越をひたすら歩く。めっちゃ寒いけど観光客も少なくて夜は夜で良い。夜散歩が本当に好きだ。川越駅まで歩いて近くの喫茶店で一服する。苦めのコーヒーが体にしみる。電車で帰宅。2,4000歩くらい歩いていた。ちょうど良い疲労感。あつあつの風呂に入って寝た。

1月29日
一日引きこもり。家で運動。ザ・シネマメンバーズで、1月31日に配信終了するロメール作品の中から未鑑賞の3本を慌てて観た。

『シュザンヌの生き方』。語り口も上映時間もあっさり、すっきり。ドロドロの愛憎劇になりそうな内容でも、あくまで軽妙なのがロメールらしい。不憫に見えたシュザンヌが真の勝者であったと分かる結末も気持ち良い。

コレクションする女』。「完全に共感」とかは無いけれど個人的な経験や性格上、本作には特別惹かれるものがあった。この滑稽さ、それから微妙な人間心理と関係性の描き方はまさにロメールにしかできない芸当。最近みっともなくてダメな主人公が本当に好きだ。完璧でかっこいいスーパーヒーローなんて観たくないわ、とすら思う。ラストの解放と寂寞の感じも味わい深くて良い。

『愛の昼下がり』。映像と撮影の美しさ、それからクレアの多彩なスタイリング以外は内容的にあまり刺さるところが無くて結構つらかった。主人公のフレデリックは悪人ではないけれど、今までに観たロメール映画の登場人物の中でおそらくもっとも気持ち悪い(良い意味でも)。いい歳して高校生レベルの妄想とかしてるし。