2024年1月のこととか

❒ 1月3日
14時過ぎごろ、病院で父と面会。家族で集まり、今回は甥っ子・姪っ子も顔を合わせることができた。容態は日に日に悪くなっている。一番上の甥っ子が目に涙を浮かべていた。姉の旦那さんに送ってもらい、みんなで実家へ。

甥っ子たちと遊ぶ。お年玉も渡す。子供たちといると元気が出る。こんな人間に懐いてくれているのも可愛くて仕方がない。夜は正月らしいもん食った。この家族はずっと誰かが誰かを殺すかもしれないと思っていたが、今が一番まとまっているのかもしれない。みんないろいろ忙しく、泊まらず解散。

夜、『CLOSE/クロース』を観る。言葉だけで表現しようとしたらほとんどこぼれ落ちてしまうような繊細な感覚を見事にとらえている。特に、セリフで語られることのない心の機微や感情を"まなざし"から想像させる演出・演技の妙には感服した。

自分も子供のころ弟ととても仲が良く、レオとレミのようにいつもベタベタしていたことを思い出した。虫の居所が悪い身内の人間に「おまえらはホモか!」と突然理不尽にキレられたこともある。社会(特に大人の)では「男同士はベタベタしない」というのが一般的で、あまりに親密な場合はすぐにセクシャルなものと結び付けられてしまうのだ。外では人の目を気にして距離を置いていたところもそのままこの映画のようだった。年下ということもあり無邪気な弟の方が自分の感情に素直で、周りの目をあまり気にしていなかったように思う。当てはめるなら自分がレオで弟がレミ。そういう意味で本作の内容は個人的にとても身近なものに感じられたが、レオ(とレミ)が「周りの価値観や規範に縛られ振り回されて葛藤する姿」は普遍的なものであり、誰の心にも響くのではないだろうか。

❒ 1月4日
昼ごろ起きて食べてダラダラしてたら夕方。久しぶりに少しギターを触った。その後、気合いで運動。年末年始は大体朝4時ごろ寝て昼ごろ起きて引きこもるという終わってる生活を繰り返していた。明日から仕事に行ける気がしない。行くしかない。

夜、『コカイン・べア』を観る。最近観たどんなホラー映画やパニック映画よりもおそろしいのに、終始コメディタッチなのがヤバい。だが、元になった実話も含めてクマは被害者でしかないのだ。コカインを食べて死んでしまった哀れなクマのことを想うと、せめて映画では人間たちが面白おかしく殺されるくらいが丁度いいということなのかもしれない。そう考えると動物と自然による人間への復讐劇にも見えてくる。終盤のアドベンチャー映画っぽいタッチは(この映画に関しては)あまり好みではなかった。

❒ 1月7日
家で映画観ただけ。

『風櫃の少年』:いつまでもバカみたいにじゃれ合っていたいが、やがて現実とも直面せざるを得なくなり、その摩擦の中でもがき始める思春期・青年期の男子たちの空気感をリアルに捉えている。リアルというより「ストレートに」と言ったほうが近いかもしれない。そういう意味では普遍的な映画だが、舞台になっている80年代中頃の台湾の村落(風櫃)と都市(高雄)の固有の文化を対比的に見ることができるという楽しさもある。廃墟の「カラーでワイドなスクリーン」から街を眺めるシーンは名シーン。

❒ 1月8日
14時半ごろ、江古田で友人と合流。ロイヤルホスト定番のオムライスを食べる。お腹の調子が微妙だったが、結局ヨーグルトジャーマニーまで登った。我慢できない。しばらくダラダラして、BAZZSTOREへ。年末年始に散財してしまったので何も買わないつもりだったのに、すこぶる良いスウィングトップを見つけてしまった。スウィングトップといえば基本的に着丈が短いのでインナーとのバランスが難しい時があるが、これはXXLでかなりゆったりしているから何も考えずに羽織れる。18時ごろ、早めに解散。帰宅。お腹空いてなかったので、プロテインバー1本だけ食べた。

❒ 1月13日
父が退院することになったので、送迎がてら家族で実家に集まる。午前中は留守番、甥っ子・姪っ子の面倒見担当。癒し。父が帰ってからは夜までみんなで過ごし、家族写真を撮ったりした。

夜、ストレスで止まらなくなっているタバコをまた買ってしまった。6箱目。6箱というと大したことなさそうだけど、6×20本と考えると120本吸っているということだ。おそろしい。マジやめたい。

『すべてうまくいきますように』を観る。安楽死を扱った映画というとシリアスな「社会派」映画になりそうなものだが、本作のタッチはどこか軽快でユーモラス。それでいて理性的で、父から安楽死の手配を頼まれた娘のエマニュエルは、彼の気が変わることを望みつつもその意志を尊重して着々と準備を進めていく。安楽死までの手順はきわめて具体的に描かれており、その過程でのエマニュエルの心の動きもリアルに捉えられている。娘のエマニュエルは、身勝手で奔放な父親のことを憎らしく思いつつ同時に愛している。ただ愛だけがあるわけではない親子の関係がリアルだ。そんな父親をチャーミングに演じるアンドレデュソリエの貢献も大きい。

❒ 1月14日
姉夫婦が姪っ子だけ連れて実家に行くというので、姪っ子の面倒見担当をした。しばらく二人で留守番。スーファミスターフォックスをしていたら「これ懐かしい〜」と言っていた。嘘つけ。星のカービィを一緒にした。夕飯前に解散。

夜、『一心太助 男一匹道中記』を観る。このシリーズの溌剌っぷりには毎度救われる思いがする。本作は脚本的な出来はあんまりという気もするが、映画としては中村錦之助の魅力が引き出されていてなかなか楽しめた。弱きを助け強きをくじくシンプルな勧善懲悪が潔い。

❒ 1月20日
久しぶりに運動した。映画観た。

『ザ・クリエイター/創造者』:AI対人間の戦いを描いた作品では、AIという脅威に人類がどう立ち向かうかという視点に立つことが多い。本作も一見その流れを継いでいるように見えるが、物語が進み主人公ジョシュアの気持ちが動くのに合わせて、視点は次第にAI側に移っていく。そこで強調されるのはAIから見た「人間の冷酷さ」である。ギャレス・エドワーズは「この映画そのものが『自分とは異なるとされる存在』のメタファー」であるとし、AIはそのモチーフであると言う。だとすれば本作は「自分とは異なるように見える存在を前にした時に人間がどうふるまうか」を描いたどこまでも人間的な物語であると言える。結局のところ、AI社会で真に問われるのも技術そのものより「人間のあり方」なのだろう。AIの是非はまだ誰にも分からないし多くの問題も技術そのものではなく人間の使い方によって引き起こされるはずだ。

また本作が特徴的なのは「AIを撲滅しようとしているアメリカ」対「AIを保護しているニューアジア」という構図を用いているところである。ハリウッドの娯楽映画の中にこうした極端な構図を採用し、そのうえで明確にアジア側に肩入れしているところにギャレス・エドワーズらしい反骨精神を感じる。このような背景には、ベトナム戦争におけるアメリカ軍への批判的な視点もあると思われる。実際、物語やビジュアル面で『地獄の黙示録を思わせる部分も多い。同時に『ブレードランナー』や『AKIRA』など多文化を融合させたSF作品からの影響も多く見られ、過去(歴史的な出来事や多くの作品)と未来と現在を接続して本作の世界観を構築していることがよく分かる。

SF大作映画はフランチャイズものが主流になった昨今、このクオリティのオリジナル作品を観られるということが何より嬉しい(映画館で観ればよかった)。大作と言っても見た目ほど予算はかかっていないそうで、そのあたりも今後の「大作映画」の基準を変えてしまうかもしれない。

『観察者』:前半の観察パートはなかなか楽しく観ていたのに、後半のどんでん返し&復讐パートで興ざめした。ありえないし、くだらないし、つまらない。他人に対する過剰な好奇心(詮索・干渉)や正義感の暴走を風刺している、というより話のネタに使っているだけのように見えて浅ましさすら感じた。

❒ 1月27日
15時過ぎ、4日前に救急車で運ばれて入院中の父と面会。しばらく話して病院を出る。映画でも観に行こうかしばらく悩んだ挙句、寒さにめげて帰りの電車に乗る。古着屋と古本屋に寄っていろいろ物色。何も買わず帰宅。プリンターが壊れてしまったので、ネットで調べてプリンターを注文。本体安い、インク高い。楽天お買い物マラソンついでに壊れていたマウスと使い切ってしまったルームミストも買う。ついでにテレビも壊れてるから一気に買っちゃうかーと思って、いろいろ調べて注文。ちなみにスマホもパソコンも壊れてるからいつか買い替えなければ。終わってる。

夜、『猿楽町で会いましょう』を観る。新旧含めここ最近観た日本映画の中で一番好き。撮影・編集・演技・脚本の構成など基本的な部分の質がずば抜けて高く、とても長編映画デビュー作とは思えない。劇伴も基本抑制的なのに、登場人物が浮かれているシーンだけ印象的に鳴っているのがすこし皮肉めいていて巧い。演技面では、最も複雑なキャラクターであるユカを演じた石川瑠華の好演が光っている。主題歌も前野健太で良かったのでは?と思ったけれど、劇中の濃いキャラクターがチラついてしまってきついか。

❒ 1月28日
昼起床。適当に食べて、大量にある父の医療費関係の書類をまとめて医療費控除用のデータ作成を始める。夕方、一段落。まだまだ厄介なのが残っている。コーヒーを飲む。こういう時にタバコを吸いたいけれど、一週間前になんとかやめたところ。一息ついて運動。夜も書類関係。いろんなゴタゴタがある。続きはまた明日。