2023年11月のこととか

❒ 11月5日
甥っ子姪っ子たちとゲームしたりして遊ぶ。昨日は出勤だったので疲れていたが癒された。

夕方、『ファニーゲーム』を観る。徹底的に厭な映画ではあるが、ハネケの意図が明確な分、案外落ち着いて観られる。直接的に映される暴力描写も少なく、暴力を快楽的な見世物にしないという意識も強い。とはいえ「子供や犬は安易に殺されない」という映画の不文律を余裕で破ってくるあたり、やっぱり衝撃作であるのは間違いないのだけれど(子供が殺された後のシークエンスは世界一厭な長回しだった)。スザンヌ・ロタールが劇中、本当に憔悴しきったような顔をしているのもおそろしい。

いわゆる「凶悪犯罪もの」にありがちな犯罪心理を描いたような作品とはほど遠く、犯人たちの人間味も極めて薄い。事実ハネケの興味は別にあり、ここでの犯人は、観客の神経を逆撫でして揺さぶるための単なる仕掛けに過ぎないように感じられる。ゴダールの映画のような洒落た演出で登場人物がカメラの向こう側(観客)に向かって話しかけてきたり、逆転もリベンジも許さないアンチカタルシスな巻き戻しによって映画は虚構であるということが強調される。この映画はまさに「虚構」であるということが重要であり、ハリウッド映画的バイオレンスの欺瞞を暴くようなリアリティでバイオレンスの実際に迫りながら、「現実」はあくまでこちら側(ゆさぶられる観客の意識の方)にあるのだ。

❒ 11月9日
休み。「何もしない」を割と落ち着いて楽しめた日。今日はあらゆるストレスやしがらみから一時的に離れることができたのが大きいのかもしれない。起きて、飯食ってコーヒー飲んでダラダラした。YouTubeにある「東出昌大二子山部屋に猪料理を作りに行く」動画が面白くて前後編まとめて見た。最近、東出昌大関連のあらゆるものがおもしろい(ひろゆきとの旅のやつとか)。

14時過ぎごろ、授業が早く終わって帰ってきた甥っ子と通信でゲームした。「マックで勉強する〜」といって消えていってしまったからこちらは運動をした。家で適当に腕立てやスクワットをやっていても圧倒的に負荷が足りない気がする。やっぱりジムに行ったほうがいいのだろうか。行かんけど。そういえば休みなのにあんまり寝てない。

❒ 11月12日
天気悪くてめちゃめちゃ寒い。映画観て運動した。運動できた。

『ザ・キラー』:スタイリッシュで緊迫感あふれる映像・演出の中にどこか間の抜けたユーモアが潜む魅力的な作品だった。このバランスが絶妙で、完璧主義のフィンチャーらしく緻密に設計されたサスペンス・スリラーでありながら、ちょっと笑える映画にもなっている。中盤の正統派アクション映画的な格闘シーンの演出にも正直笑った。

非情でそこそこ腕も立つが、うっかり失敗もする人間くさく"かっこよくない"主人公ザ・キラーのキャラクターが、本作のユニークさを際立たせている(物語自体もある大きな失敗から始まる)。プロットはもちろん、主人公が壊れているように見えるところもジャン=ピエール・メルヴィルの『サムライ』に似ているが、ザ・キラーはもっとかっこよくないような。おそらく、デヴィッド・フィンチャーの自虐も含んだ自己投影なのだろう。主人公が繰り返しつぶやく「計画通りにやれ」「予測しろ」「即興はするな」「対価に見合う戦いにだけ挑め」「感情移入するな」「誰も信じるな」などの教訓めいたセリフもフィンチャー自身の仕事に対する心がけなのだろうか。結局その掟を守りきれないところも自虐的だし、フィンチャーのこれまでの仕事の実際と経験が反映されているように感じられる。個人的には、途中から自己啓発書やビジネス書にとらわれた人にも見えてきて可笑しかった。

スマートウォッチで心拍数を測ったり、WeWorkで部屋を借りたり、シェアスクーターで逃走したり、Amazonでスマートキーを複製する機械を購入したり、荷物をAmazon Hubで受け取るなど、古典的な殺し屋の技術と併せて「現代」という時代設定を生かしたサービスや機器が多数駆使されているのも面白い。また、使い終えた物を捨てるシーンやスマートフォンを壊すシーンの反復は映像として快楽的で気持ちよい(さりげない文明批評にも見える)。パリ、ドミニカ共和国ニューオリンズ、フロリダ、ニューヨーク、シカゴと次々に転換していく舞台も美しくとらえられている。主人公が聴いている音楽(ザ・スミスだけをひたすら聴いているというのも人物像を想像させる)の聞こえ方が場面や環境によって変わるなど、映像だけでなく音響面でも緻密に設計されていて"音響"の映画でもある。

春のソナタ』:派手さはないが、とにかくキャラクターが魅力的なのとロケーションが美しいので最後まで楽しめる。ドラマは人間関係のもつれからなるゴタゴタ劇でありながら、作品全体は春のようなあたたかさで満ちている。ロメール映画らしい自然なシスターフッド的連帯も、都合よく終わるラストもあたたかい。

❒ 11月18日
12時、友人と新宿駅で待ち合わせ。乗り換えて京王多摩川駅に向かう。ごはん茶房Shienでガパオライスを食べて、東京オーヴァル京王閣へ。パンと音楽とアンティーク。最初に一通りお店を見て回る。昨年と比べて明らかに古着(特にミリタリーもの)が充実していて、目移りしてしまう。むしろパン屋の出店が少なめなような。服を買うつもりはなかったけれど、良いフリースジャケットを見つけてしまい購入。

夕方までぶらぶら歩く。寒くなってきたのでラーメン屋で日本酒の出汁割りを買って飲んでみたら、ここ最近口にしたものの中でもっとも苦手な味でへこんだ。でもなんか悔しくて意地で飲み干した。友人は美味しそうに飲んでいたので、単に口に合わなかったのだろう。口直しにクラフトビールと唐揚げを買ってベンチで休む。風が強まってきて、お店のパイプテントや商品が飛んだりして大変そうだった。ちょうど通りがかったお店(前から気になっていたミリタリーパーカーがたくさん置いてあった)も強風で商品をかけているポールが倒れかかり、お店の人が押しつぶされそうになるほどの勢いだったので一緒に押さえてあげた。二人がかりでもなんとかギリギリくらいの強風。

昨年盛り上がっていたclub snoozerのエリアへ。音楽を聴いているとまたお酒が飲みたくなってきた。ビールを買いに行き、もう一杯飲んでそのままcloseまで踊る。今年も間違いない盛り上がり。ここだけなぜか風も来ない。昨年は一人だったが、今回は友人と一緒に来れて良かった。終演後、あまりお腹も空いていなかったのでそのまま帰宅。とはいえなんか食べとくか、と思いコンビニでサンドイッチとコーヒーを買って帰った。

❒ 11月19日
家で映画。運動。

ボーン・アイデンティティー』:ボーンシリーズを観返そうの会。1作目。硬い筆致と高い娯楽性を見事に両立させていて、今観てもよくできている。テンポもかなり良い。ストイックなスパイ・アクションであるだけでなく、サスペンス、ミステリー、ラブロマンスなど幅広い層が楽しむことのできる要素が詰まっている。一人の若者がアイデンティティを回復する旅の話でもあるので、主人公に感情移入もしやすい。

この頃のマット・デイモンのいい意味での色気の無さ(にじみ出る「賢いけれど精神的に未成熟な若者」感)もジャンル映画の渋さを中和していて、若者にも刺さる作品になっている。考えてみれば「記憶を失くしてしまった超人的な能力を持つCIAのエージェント」という設定もつまらない授業の最中にする妄想みたいだ。

❒ 11月23日
今日はすこし暖かい日。完全に引きこもる予定で、起きてからお昼くらいまで布団でダラダラしていると友人から連絡。15時ごろ下北沢に集合。八月でカレーを食べる。キーマカレーとチキンカレーのあいがけに無料券使ってゆで卵トッピングが安定かも。安定して美味しいけれど、下北のカレーはそろそろ行ったことのない店も開拓したくなってきた。お腹を満たし、しばらくぶらぶら歩いて古着屋を見る。11月はかなりお金を使ってしまっているので、あまり真剣にディグらないようにする。友人はニットを買っていた。

日も落ちた頃、新代田駅まで歩いて移動。Feverのある建物一階で大久保つぐみさんの個展を見る。友人の好きなイラストレーターで、自分はほとんど何も知らずについて行ったけれど、鮮やかな色彩とコピックによるにじんだタッチが美しく良い刺激を受けた。作品集にも魅力的な絵がたくさん載っていたので、他の原画ももっと見てみたい。草花や路上の園芸、狭い路地を散歩していると見かけるような距離の近い風景など、この方の作品には共通するテーマやモチーフが多く、それをさまざまな距離や角度から描き分けているのが面白い。

夜、どこで何を食べるかさんざん悩んだ挙句、西荻窪の麺尊RAGEまで行くことに。したのに、電車に乗ってから休業中であることを知る。とりあえず新宿まで来てまた悩んで、中野のロイヤルホストへ。オムライスがめちゃめちゃ美味しいということを知った。控えめにしておくつもりが、でかいパフェまで食べてしまった。幸せ。明日はお腹を休ませよう。閉店前までダラダラ喋って解散。

❒ 11月25日
映画。運動。

『カード・カウンター』:主人公はマルクス・アウレリウスの『自省録』を愛読しているような禁欲的で地味なギャンブラー(「小さく賭けて小さく勝つ」をモットーとしている)で、いわゆる「ギャンブル映画」としての楽しさとは無縁の作品ではあるが、美しく静謐なショットや流麗なカメラワーク、絡みつく不穏な劇伴はどこか快楽的でさえある。抑制された演技・演出から溢れ出るオスカー・アイザックの色気もたまらない。

ジャンル映画というより『魂のゆくえ』に連なる本格的な映画で、罪の意識に囚われた男をじっくりと描いている。まさか『ゼロ・ダーク・サーティ』や『ザ・レポート』『モーリタニアン 黒塗りの記録』の隣に並べられる作品でもあるとは思わなかった。劇伴誰だろうと思っていたらB.R.M.C.のメンバーだった。久しぶりに名前を聞いた。

冬物語』:『モード家の一夜』を観た時にも思ったけれど、冬のロメールも結構好きなんだよな。夏のバカンスや陽光のイメージがあるだけにかえって映えるものがある。プロットも『モード家の一夜』と似ており、20年越しに韻を踏んでいるようだ。

本作は「出会いの夏」から始まり、あっという間に終わると「喪失と再生の冬」が始まる。以降物語としてはやや淡白だが、移動を丁寧にとらえた映像は充実しているし、グレーやブラウンを基調とした色彩設計に差し込まれる色味もスタイリッシュで美しく、円熟期を迎えたロメールの作品なだけあって全体的な完成度は高い。都合のよいラストには、ロメールらしい"偶然"にもとづく純粋なカタルシスがあって思わず微笑んだ。

『夏物語』:ロメールの映像快楽の極みのような作品で最高だった。若い美男子(メルヴィル・プポー)が主人公だったり、その主人公が冒頭10分間ほとんど言葉を発さずないまま移動とアクションがとらえられていたり、『海辺のポーリーヌ』のアマンダ・ラングレが終始足を出していたりすることからも本作の美へのこだわりが覗える。避暑地ディナールの景観も極めて美しくとらえられている。物語は優柔不断な男が流され続けるだけの話で、教訓や教養が前景化し過ぎておらずいい意味で軽い。70代にして瑞々しい感性を保ちつつ円熟の境地に達したロメールの到達点。

❒ 11月26日
ここ最近で一番寒い日。冬の装いで家を出る。

11時半過ぎ、下北沢mona recordsへ。友人2人と合流。12時から「ミレーの枕子×ツキトウミ」ツーマンライブ。ツキトウミさんは初めてだったが、声も曲も良くて一気に引き込まれた。行きの電車で聴いていた「さよならたい焼き」や「花屋のガール」を生で聴けて嬉しかった。ミレーの枕子のライブは何度も見ているけれど、今回は混み具合や時間帯もあってか、今までで一番しっとりとした雰囲気だったような。尺も1時間ほどあったのでじっくり聞くことができた。「乾いた風が吹く頃に」という曲が今日の寒空にぴったりで、本人も気持ちが乗っていたように見えとても良かった。音の鳴り方も聴こえ方も、場所・天気・時間・人などあらゆる環境に左右され、それぞれまた別の楽しみ方や良さがあるのだと思う。どんどんパフォーマンスに風格が出てきていて、ボブ・ディランみたいじゃんと思った。そういえば、ディランの名曲「Blowin' in the Wind」と「乾いた風が吹く頃に」には、「風」というモチーフの他に「鳩が飛ぶ」様子も共通して描かれている。これも何かのスピリチュアルな共鳴? 枕子がMCで「目に見えないものやスピリチュアルなものに惹かれてしまう」と言っていたので、ステージからの撤収時にふざけて「スピ女だ、おつかれさま」と声をかけたら「いい女?」と都合の良い耳で解釈していてウケた。

終演、しばらく歓談して友人2人と街へ出る。茄子おやじに行ったら結構並んでいたのでやめて、八月の前まで行く。空いている。3日前に行ったばかりなのでやっぱやめて、般゜若へ。とても美味しかった。そういえば4日連続でカレーを食べている。しばらく下北沢を散策。寒い。友人は線路街で自称「日本一美味しい」だんごを食べていた。真偽は不明。コーヒーや甘いものを求めて店を探す。友人が「デザートが美味しいよ」と言っていた202カリー堂にたどり着くも、かなり並んでいる。やめて歩き出したころ、打ち上げを終えた枕子から連絡があり、下北沢駅まで向かい合流。4人席が空くまで並んで待ち、tefuに入る。枕子がタロット占いを披露してくれ、一人ずつ占ってもらった。みんなでディズニーに行こうという話も出て、逆にアリかもと思った。18時過ぎ、乗り換えの新宿まで行って解散。帰宅。家でパスタ食べた。