2023年7月のこととか

❒ 7月1日
午前中はずっと布団でダラダラ。2度寝して起きたら13時半を回っていた。適当に食べて、近くの映画館へ向かう。

2度目の『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』。2回観ても最高なんだからやっぱり最高なんだよ。スポットの魅力に完全にやられました。「ヒーローは良いけれどヴィランが全く魅力的ではない」ということがよくあるヒーローものにおいて、本作はその点も完璧。それから、ハイスピードなアクションシーンだけでなく、会話シーンのきめ細かさにも目を奪われた。キャラクターの微妙な表情の変化だったり、感情と背景が繊細に連動していたりしてとにかく美しい。

❒ 7月2日
14時に西荻窪。友人と合流。GINAのピザを食べに来たのにラストオーダーを過ぎてしまった。ハンバーガーに変更して、STARDUSTという店へ行ってみる。有名アーティストの名盤のタイトルがそのままバーガーの名前になっていて、メニュー選びに迷ったけれどちゃんと美味しかった。しばらく涼んで、古着屋ototoharu;へ向かう。途中、西荻名物大ケヤキもしっかり拝む。友人は、LEEのバケットハットを購入。自分は何も買わず。もう一軒古着屋へ行ってみようということになり、often(オフトン)まで歩く。着くと普通のアパートの一室に店があり(アパートの階段を登っていく)、靴を脱いで上がってみるとおしゃれでカラフルな異空間が広がっていた。なんとなく「A24の映画に出てくる店みたいだ」と思った。服も全体的に柄物や変わったデザインが多い印象。自分が着れるものを見つけるのはなかなか難しいけれど、見ているだけで楽しい。刺さる人にはぶっ刺さりそう。

often(オフトン)に来たついでに、あまり開拓していない駅の東側を少し歩いてみると、西荻窪イトチという小さなお店を発見。可愛さにつられ入ってみる。靴を脱いで2階にあがると、小さなスペースに無数のこけしたちが並べられていた。一瞬「場違いな場所に来てしまった」と思ったけれど、スタッフの方たちの説明を聞いたり、じっくり眺めたりしているうちに、自分と友人はこけしの虜に。親切なスタッフの方の解説を聞くのも、可愛いこけしたちを眺めるのも楽しくて、かなり長居してしまった。スタッフの方が「若い人でこんなに興味を持ってくれる人は珍しい」と言っていて、内心「そうなのか?ポップでカラフルで可愛いから若い人もみんな好きそうなのに」と思った。というか、スタッフの方もかなり若いし、自分はまた実年齢よりかなり下に見られていたのだろうな。

どうやらこの日はたまたま、東京こけし友の会主催の「第2回 イトチぃさなこけし」というイベントの日だったらしい。4日間しか開催していないようで、そんな貴重な日にたまたま訪れることができて良かった。出会いに感謝。自分と友人はこけしを1体ずつ購入。他の友人の分も1体購入した。どこまで奥が深いのだろう西荻窪。歩くたびに新しい発見がある。

もう少し歩いて、ニヒル牛へ寄る。ここは、個人作家の作品が置いてあるギャラリー雑貨店。しばらく見て、今度は西荻窪から電車で町田まで向かう。途中、新宿の石橋楽器で、友人が弦交換に出していたガットギターの受け取りに付き添う。19時半ごろ、町田に到着。もう一人の友人と合流。すでに町田で居酒屋を2軒はしごした後らしく、酔っ払って超ハイテンションだった。最初っから楽しい。合流した友人は、自分の友人の中では珍しくめちゃめちゃ飲むほうなので、こっちまで楽しくなって久しぶりにたくさん飲んだ(8杯か9杯くらい)。かなり喋った。あっという間に終電近い時間になり、解散。

充実しすぎなくらい充実した一日だった。帰って風呂入って即寝る準備をしたら1時半過ぎ。明日は月曜日。すぐ布団。

❒ 7月8日
14時半に新宿。シネマカリテで『小説家の映画』を観る。ちょっとすごかったな。何がすごいのか分かんないんだけど。というか、ホン・サンスが分からない。ラストの余韻とかもう本当に素晴らしくて、周りのお客さんも圧倒されているのが伝わってきた。キム・ミニの役者としての魅力が突き抜けている。

上映後、ルミネにあるSteven Alanで目をつけていた渋いボーダーTシャツを買って帰った。そういえば店内で、服に関する動画をYouTubeにあげている大好きな方を見かけたのだけど、声をかけるか迷っているうちに行ってしまった。

❒ 7月9日
日中はダラダラ。何かしたっけ。16時くらいに家を出て下北沢へ。八月でカレーを食べる。朝から何も食べていなかったので、より一層美味しく感じる。無料券でゆでたまごをトッピングして贅沢な気持ちになる。

しばらく古着屋を散策してから、げによいというバーを目指す。Googleマップで見ると茄子おやじの隣にあるけれど全く知らなかった。普通のアパートのような階段をのぼって行き扉を開くと、小さな隠れ家的お店があった。今日はここで19時からミレーの枕子と後藤匠さんのツーマンライブがある。受付を済ませると、ちょうど横に枕子がいたので挨拶してもう一人の友人を待つ。お酒を飲みつつ後から来た友人と話していると、いつの間にかライブの時間になっていた。ボーカルマイクすらない完全アンプラグドの生音演奏で、お客さんの雰囲気もあたたかくて素晴らしいライブだった。初めてライブを見た後藤匠さんもすごく良かった。

この日は、お店のキャパ的にも超少数で(20人前後位)、親密な雰囲気だったので他のお客さんとも話しやすく、自分と友人も自然に周りの人たちと話をしていた。ライブ後、ミレーの枕子含む6人程でシモキタエキウエの端っこ辺りまで移動してセッションをした。最高に楽しい。こんな日が何度もあれば良い。個性的な人が多くて面白かったし、少し仲良くなれた気がする。23時ごろ解散。毎回ライブで見かける方と結構家が近かったので、話しながら電車で帰る。「また集まりましょう」なんて話をした。

❒ 7月11日
職場の都合で休み。暑すぎるので引きこもる。映画2本観て運動した。

『素晴らしき、きのこの世界』。半分くらいきのこの幻覚成分(と変性意識)の話。その他も「菌類がいかに人類に役立つか」の話が大半で、純粋にきのこの生態に興味があった自分の期待した内容とはちょっと違ったけれど、なかなか興味深かった。タイムラプス撮影による映像がファンタジックで美しい。

『3つの鍵』。思った以上にスリリングで面白くて引きこまれた。人間が許し合おうとする姿にも純粋に胸を打たれる。歳を重ねていろいろな経験を重ねるごとに、どんどん家族のゴタゴタ劇が刺さるようになってきている気がする。本作の舞台であるイタリアの家父長的・保守的な家族像と、日本の家族像に似た部分があるというのも大きいのかもしれない。

人間の不安や恐怖や孤独や強迫観念に関するあらゆる問題が描かれているため「散漫だ」という意見もよく見かけるけれど、個人的にはよくできていると思う。一つの建物に住む3家族の物語が上手く絡み合っていくというより、全体で人間に関する大きなドラマを形成しているような印象を受ける。多くの問題の原因として、男性性のトキシックな部分が描かれているところも今っぽい。

❒ 7月15日
15時半ごろ、中村橋。友人と合流予定だが、少し早めに着いたので近くの古着屋を見てみる。ちょうどいい感じのナイロンサコッシュがあったので購入。友人と合流後、練馬区立美術館「植物と歩く」展へ行く。まったく前情報無しに「植物」というモチーフに惹かれて来たけれど、牧野富太郎の原画なんかもあったりしてなかなか楽しめた。

仕事終わりのもう一人の友人を待つために赤羽へ移動。古着屋ソラティウム(solatium)に寄る。いろいろ見て何も買わず。店員さん相変わらずいい人だった。適当に入った居酒屋で一杯ひっかけながら友人の仕事終わりを待つ。

20時半ごろ、もう一人の友人も合流。どこのお店に入るか散々迷った挙句、3・6・5酒場に決める。みんなお腹が空いていたので、いきなり餃子とライスと味噌汁と漬物のセットを食べる。何杯か飲みつつ、つまみつつお喋り。安くてなかなか良いのでまた来たい。終電まであまり時間もないので、同じビル内にあるビッグエコーに1時間だけ入ることにした。3人で1時間カラオケはあっという間。充実した日だった。働きたくない。

❒ 7月16日
暑すぎ。映画2本観て運動した。

『ダークグラス』。久しぶりにダリオ・アルジェントの映画なんて観た。90年代以降の彼の作品を一作も観たことがないし、前作も10年前だから、現役の監督であるという認識すらもう薄れてしまっていた。本作はいい意味で力が抜けていて、前衛的なビジュアルもアーティスティックな画面もそれほど前傾化していない。ご都合主義展開を駆使してシンプルに、普通に「ホラー映画」をやっていてかなり楽しめた。その真っ直ぐさが今の時代にかえって新鮮に映る。鬼畜殺人鬼以外あまりにも不憫な登場人物ばかりで笑いかけた。ギリギリ笑っていいのか際どいところなんです。 

『Never Goin' Back / ネバー・ゴーイン・バック』。クソみたいな日常を明るく乗り切るアホみたいな映画でとても楽しめた。主人公の二人の女の子、ヤンチャが過ぎるけどめちゃくちゃ仲良いのが可愛い。自分はやっぱりガールズムービーやシスターフッドものに弱いなと再認識。なんか元気が出る。ゲ◯見てゲ◯るなんてどうしようもなさ過ぎるシーン最高で笑った。

❒ 7月22日
早起きして、9時に池袋集合。友人2人と合流。池袋HUMAXシネマズで『君たちはどう生きるか』を観る。真っ先に感じたのは、紛れもなく「ジブリの映画だ」ということ。ジブリアニメのトーン&マナーから外れることなく、宮崎駿の半生と脳内をまるごと投影したジブリ史上最高に「わからない」異色のファンタジー映画だった。いろいろな読み解きや解釈が可能だが、個人的にはほとんど興味がわかず(特に宮崎駿の人脈に寄せた解釈など)、わからないまま普通にファンタジー映画として楽しんだ部分が多かった。

監督自身「訳が分からないところがありました」と言うように、本作は観客に"わかる"ようにまとめあげる以前のカオスティックな宮崎駿の脳内イメージをできる限りそのまま描き出し、それをどうにか一つの物語として紡いでいるような印象がある。こういうアート作品においては「わからないところをわからないまま楽しむ」のも一つの向き合い方としてアリだと思う。

そういう意味では普通に楽しめたし「わからないからつまらなかった」ということはまったく無いのだけれど、他のジブリの傑作映画たちと比べてしまうとどうしても少し印象が薄いことは否めない。イメージを画にする力の衰えなのか、アオサギ以外のキャラクターは割と魅力に乏しいし、印象的なシーンやビジュアルも比較的少なかったように思う。

上映後、適当に近くの公園に移動。友人が持ってきていたギターを弾いて遊ぶ。日陰でも暑すぎる。セミがすさまじい勢いで鳴いていて、ちょうどよく音をかき消してくれる。友人一人用事で帰宅。VIVA LA BURGERというハンバーガーショップに行く。この後の予定もないし、暑すぎて散策する気にもなれないので営業終了時間まで長居する。夕方頃、早めに解散。

夜、なんだか喉の調子が悪い気がする。体もちょっとだるい(翌日午後、発熱しました)。寝た。

❒ 7月29日
2度目のコロナ感染で、月曜日からコロ夏休みを過ごしていた。ここ1週間頑張ったことが一つもない。強いて言えば、昨日ストレッチをちょっとやったくらい。思ったより軽快に体が伸びて驚いた。やはり労働が人を蝕むということだ。自宅待機期間中は布団でゲーム実況動画ばっかり見ていた。療養中のくせに生活リズムも終わっている。夜更かししている友人がいるとつい話し込んでしまって寝るのが明け方になってしまうことも。症状自体は前回の感染時よりさらに軽くて、熱も最高38度くらいですぐに下がったし「まったく動けないし何もできない」というのは実質半日くらいだった。ただ前回同様、喉のイガイガと咳はしばらく残るのだと思う。

日数的にはやっとコロナ自粛明けしたけれど、暑すぎて外に出たくない。というか、危険だ。ずっと冷房の効いた部屋にひきこもっていたのが、突然こんな炎天に晒されたら死んでしまう。「身の危険を感じるから」という大義名分を立てて引きこもる。映画2本観た。

『退屈な日々にさようならを』。自分にはこの映画の魅力がよく分からなかったけれど、一貫して現実みが薄く登場人物もみんなどこか作品世界から浮いているような感じがするところは面白いと思った。可愛く魅力的に撮れているカネコアヤノの出演シーンが個人的ハイライト。

渚のシンドバッド』。瑞々しいというよりむしろ生々しい青春群像劇になっていて、橋口亮輔らしいなと思った。とても良かった。観ているとこちらが恥ずかしくなったり、気持ち悪くなったりしてしまうことも多々あるが、それだけ映像に気持ちを揺さぶるパワーがある。一番複雑なパーソナリティを持つキャラクターを浜崎あゆみが演じていて、しかもこれがバッチリハマり役。それだけでもう映画として大成功と言っていいのでは。

夕方、気合で運動した。体よりももっと心肺機能がなまりまくっていて苦労した。

❒ 7月30日
映画2本観た。明日から仕事に行ける気がしない。月曜日からほとんど一歩も外に出ていないのだから。

暗殺の森』。とにかくスタイリッシュで美しい撮影に冒頭から魅了された。明暗の使い分けも、こだわりぬかれた色彩設計も構図もすべてこの映画には必然(それ以外ではありえないこと)のように思える。つまり、"映画"に奉仕している。

「普通(正常)でありたい」「異端者にはなるまい」と偏執的になっている主人公マルチェロの狂気は、現代のあらゆる人間の姿にも通じていて興味深い。自分自身も順応主義者っぽいところがあるので、とても他人事とは思えなかった。政治的に言えば、時代が変われば「正義」も「何が普通であるかの基準」もまるっきり変わってしまうものなのだということは、常に頭に留めておきたい。

『凱里ブルース』。この映画の印象を一言で表すならば"自然"。寝れます。おそらく完璧に演技と撮影のプランを練って撮られたアクロバティックな長回しも、理屈と時間を飛び越えたマジックリアリズム的展開も、幻想的で詩のような映像世界(実際、劇中ではところどころで詩が挿入されている)もすべてが自然に映る。

主人公チェンと青年が二人乗りでバイクを走らせる長回しのシーンでは、一旦横道に入ったカメラが彼らに先回りしてその姿をとらえる。ここで観る者は、"撮影者"というメタな存在を意識することになるが、それでもこの映画の自然な質感は損なわれない。考えてみれば、映画は必ず「撮影されたもの」=「演出と作り手の意図が介入したもの」でしかありえず、それが映画の"自然"なのだということを思い起こす。